子ども時代

2006年6月25日
昨日の話しじゃないけれど
子育てしてると
自分の子ども時代を振り返ることがよくある。

ほったらかしだったけど、
大事にされてたんだよなぁ〜と、よく思う。

物心ついたときにはうちの中には子どもは私一人で
あとはみんな大人だった。
大人5対子ども1だったので、家中が大人ペースですすんでゆく。

晩ご飯にはなすの煮びたしと焼いた魚が出てチキンライスは出ない。
おでかけはお墓参り。
家中でドンくさいのは自分だけ。

でも、愛されてたよなぁ〜と思うわけですよ。

あるとき大人たちはお昼にそろってしゃぶしゃぶを食べに行ったらしく
「え〜、夕飯にスパゲッティ〜?昼のしゃぶしゃぶはうまかったのにぃ〜!」
と兄(高校生)の口から漏れたことがあって
大人たちが「あっ!言うなバカ!」と慌てる様子から
よくはわからんがなにか重大な隠ぺいがあったに違いない、
そのしゃぶしゃぶというのはすごいごちそうに違いないと勘付いた私は
当然たたみにひっくり返って大泣きしたのだけど、
「(あんたには)おいしくないよ、しゃぶしゃぶなんて。アンタそれよりスパちゃんのほうが好きじゃない。」
と言われて、それもそうだとおいしく夕飯をいただいたものだ。

うまくごまかされたわけだが、
しゃぶしゃぶなんてチビさんの好物じゃないわけで
スパちゃんのほうがもちろんいいわけです。

今思うと、大人の思いやりのある対応だよなぁ。
自分が子どもの時だって、
(うん、そんなわけわからん生のお肉よりスパちゃんのほうがいい。)て思ったもん。←ごまかされてるわけだが。

大人と子どもの境界がはっきりしていたので
大人と子どもは違うもの、と、見てわかって育ったんだなぁ。

大人たちは子どもの私につきあわずに
ほったらかしにしてくれていたおかげで私は子どもを楽しめた。

ほったらかされていても、大人は子どものことはだいたいわかってるようだったので
困ったときには大人に助けてもらうこともできた。

大事にされすぎず、大事に「想われて」子ども時代を過ごしたんだと、振り返って思う。

12歳で父を亡くしてからも
それまでの大切に想って育てられた基礎が 
大人になるまでの私を明るく照らしてくれていたなあ、とはっきり言える。

子どもって、自分で成長していくものだ。
子どもだけじゃない、大人になっても
人間て、自分で成長していくものだ。
成長を妨げられないことのなんと健やかなことか。

育てる側の立場になった。
肝に銘じておきましょうとも。

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