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親殺し
2007年7月6日臨床心理士の講演て、年に何回くらい聞きますか?
わたしはだいたい年に1、2回。ハヤリですね。学校の講演会に心理学。
今回のお話は、「親殺し」。
ヘンゼルとグレーテルのお話でした。
ヘンゼルとグレーテルのおうちは貧しかったので、
母親が、「子どもを捨てよう。」と言い出します。
父親は反対しますが、優柔不断なので結局妻の言うまま実行犯となり、子どもを森に置き去りにします。
母親ってむごい。父親って立場ヨワー。
このお話は、「子どもの自立は親を殺してなされる。」という、
古今東西大昔からのテーマが書かれたものだという解釈で、
ヘンゼル=息子
グレーテル=息子の恋人
お菓子の家の魔女=母親
と、読みます。
息子は家を出て自立をしようとしますが、あっけなく母親に捕まり食べられそうになります。
情けなや。息子。
家を出てしばらくは、心細くて泣いている恋人を励まし、小石をたどりうちに戻ったり、
あんなに知恵のあるやさしい若者だったのに、
逃げ切れず母親に捕まってからは、檻の中ですっかりおとなしくなってしまっています。
行動を起こせよ!息子っ。
母親に押さえ込まれた息子のなんと無力なことか。トホホ。
気の毒に息子の恋人はお姑さんにタダ働きさせられ放題です。
けれども、あきらめモードの息子に代わって
恋人のピンチに奮起するのがこのグレーテル。なかなかどうしてしたたかな女の子。
従順なふりを装い、油断を誘い、とうとう彼の母親を釜にくべて焼き殺してやりました。してやったりだ。
恋人に救い出された息子は、母親から逃れ、
うちに帰り着いてみると、後悔に泣き暮れていた父親は大喜び。
立派に自立して帰ってきた息子を、喜んで迎え入れます。
母親は森の中で殺したので帰ってきた家にはいません。
ヘンゼルとグレーテルは、抱き合ってキスをして喜び、
ヘンゼルは見事、「息子」から、「男」に成長しました。めでたしめでたし。
「息子」から「男」に成長してゆくには、
親から離れて自己を確立しなくてはなりません。
子どもに、特に、息子にとって、母親は邪魔な存在となる日が来るのでしょう。
母親は邪魔なんだなぁ・・・。
そこは、「捨ててきても、うちで泣いて待ってる男親」と
「捕まえて食べようとして、やっつけられちゃう女親」の違いだなぁ。
先生は、「だから、おかあさんたちは、必ず一度は殺されますからね。
そういうもんですからそのときが来ても動揺しないように。」だって。
つまりは、思春期に「オカン、うぜぇ。」と口も聞いてくれなくなる時期が必ずあると。
オトンは知らん顔してるんでしょうが、
オカンはオバサンの厚かましさで息子のココロにずかずか踏み込んでくるんでしょうなぁ。
慌てて捕まえて腹の中にもう一度おさめようとしたって
もう入りきらないほどおっきくなってんだから、やっつけられて当たり前よねー。
お話の中のキーパーソンがグレーテルですが、
息子が男になるための重要な支えが「恋人」。納得。
「恋せずば ひとは心もなからまし もののあはれも これよりぞ知る」
と日本の大昔のいいオトコ代表藤原俊成も詠んでるくらい、
恋は人を育てる肥やしですから、
息子は母親を捨てて、恋をどんどん経験してほしい。
悩んで傷ついてたくさん考えて大きく成長して、
いつか心の通じ合える恋人に出会って、さらに愛おしいという気持ちも知ってほしい。
愛おしい、という気持ちが子どもを産み育てる源泉だと、わかる男になってほしいよね。
ううむ。
男いうのは ややこしいねぇ。
息子(コドモ)から男(大人)へ。
産む機能を持たない男の成長は
精神のバランスを自分で大人方向に向けて舵を切る勇気にかかっているようだ、と思いました。
わたしはだいたい年に1、2回。ハヤリですね。学校の講演会に心理学。
今回のお話は、「親殺し」。
ヘンゼルとグレーテルのお話でした。
ヘンゼルとグレーテルのおうちは貧しかったので、
母親が、「子どもを捨てよう。」と言い出します。
父親は反対しますが、優柔不断なので結局妻の言うまま実行犯となり、子どもを森に置き去りにします。
母親ってむごい。父親って立場ヨワー。
このお話は、「子どもの自立は親を殺してなされる。」という、
古今東西大昔からのテーマが書かれたものだという解釈で、
ヘンゼル=息子
グレーテル=息子の恋人
お菓子の家の魔女=母親
と、読みます。
息子は家を出て自立をしようとしますが、あっけなく母親に捕まり食べられそうになります。
情けなや。息子。
家を出てしばらくは、心細くて泣いている恋人を励まし、小石をたどりうちに戻ったり、
あんなに知恵のあるやさしい若者だったのに、
逃げ切れず母親に捕まってからは、檻の中ですっかりおとなしくなってしまっています。
行動を起こせよ!息子っ。
母親に押さえ込まれた息子のなんと無力なことか。トホホ。
気の毒に息子の恋人はお姑さんにタダ働きさせられ放題です。
けれども、あきらめモードの息子に代わって
恋人のピンチに奮起するのがこのグレーテル。なかなかどうしてしたたかな女の子。
従順なふりを装い、油断を誘い、とうとう彼の母親を釜にくべて焼き殺してやりました。してやったりだ。
恋人に救い出された息子は、母親から逃れ、
うちに帰り着いてみると、後悔に泣き暮れていた父親は大喜び。
立派に自立して帰ってきた息子を、喜んで迎え入れます。
母親は森の中で殺したので帰ってきた家にはいません。
ヘンゼルとグレーテルは、抱き合ってキスをして喜び、
ヘンゼルは見事、「息子」から、「男」に成長しました。めでたしめでたし。
「息子」から「男」に成長してゆくには、
親から離れて自己を確立しなくてはなりません。
子どもに、特に、息子にとって、母親は邪魔な存在となる日が来るのでしょう。
母親は邪魔なんだなぁ・・・。
そこは、「捨ててきても、うちで泣いて待ってる男親」と
「捕まえて食べようとして、やっつけられちゃう女親」の違いだなぁ。
先生は、「だから、おかあさんたちは、必ず一度は殺されますからね。
そういうもんですからそのときが来ても動揺しないように。」だって。
つまりは、思春期に「オカン、うぜぇ。」と口も聞いてくれなくなる時期が必ずあると。
オトンは知らん顔してるんでしょうが、
オカンはオバサンの厚かましさで息子のココロにずかずか踏み込んでくるんでしょうなぁ。
慌てて捕まえて腹の中にもう一度おさめようとしたって
もう入りきらないほどおっきくなってんだから、やっつけられて当たり前よねー。
お話の中のキーパーソンがグレーテルですが、
息子が男になるための重要な支えが「恋人」。納得。
「恋せずば ひとは心もなからまし もののあはれも これよりぞ知る」
と日本の大昔のいいオトコ代表藤原俊成も詠んでるくらい、
恋は人を育てる肥やしですから、
息子は母親を捨てて、恋をどんどん経験してほしい。
悩んで傷ついてたくさん考えて大きく成長して、
いつか心の通じ合える恋人に出会って、さらに愛おしいという気持ちも知ってほしい。
愛おしい、という気持ちが子どもを産み育てる源泉だと、わかる男になってほしいよね。
ううむ。
男いうのは ややこしいねぇ。
息子(コドモ)から男(大人)へ。
産む機能を持たない男の成長は
精神のバランスを自分で大人方向に向けて舵を切る勇気にかかっているようだ、と思いました。
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