世界の宗教がわかる本 -成り立ち、儀式からタブーまで-
2008年6月21日ひろさちや
Q&A形式で各宗教のちがいや意味を優しい言葉で解説してあって読みやすい。ユダヤ教から、儒教、神道まで。
冒頭に「宗教学者の数だけ宗教の解釈はある」と書いてあるとおり
ひろさん流解説だと思うけど。
さらにおおざっぱにわたし流にまとめてしまうと
人は生きていくのにしんどいときも
悩んで行き詰ってしまうときもある。
そういう自分だけの力で何とか変えようったってうまくいかないとき、
自分のものさし、社会のものさし(娑婆のものさし)だけで解決できないときに
「かみさま、ほとけさまのものさし」を使うと
自分が楽になったり、変われたりするきっかけになるかもよ。
それが宗教ってものよ。
てことを、どの宗教もゆうてはんねんなぁ〜。納得。でした。
終章では、現代に宗教をちょこっと取り入れた生き方のすすめ風のものが書いてあります。
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■物差しをもう1本持つ
そしてもうひとつ大切な言葉が「ダブルスタンダード」です。「スタンダード」とは物差しのことですから、「2本の物差しを持つ」ということですね。
娑婆世界でいきるわたしたちは、どうしても娑婆世界の物差しを捨てて生きることはできません。「わたしは持たない」といっても世間が物差しではかってしまうのです。子どもは、いやでも学校で点数をつけられてしまいます。会社に就職すれば、勤務評定という物差しが待っています。社会には社会でさまざまな物差しがありますし、世界には世界のさまざまな物差しがあります。この娑婆世界で生きている限り物差しの世界で生きざるを得ないのです。
それじゃあ、物差しを捨てることはできないじゃないか。
そうなんです。わたしたち凡人には物差しを捨てることはできません。
そこで提案したいのが、もう1本物差しを持とう、ということです。
その物差しというのは、ものをはからない、という物差しです。「なんだっていい」という物差しです。別の言い方をすると、すべてをありがたいなあ、とはかる物差しですね。どんなものでも、ありがたいなあ、と受け止められる物差しです。そういう物差しを持つことが「ダブルスタンダード」なのです。
------
あるがままを受け止めて
そこから先どうするかは
2本の物差しを使い分けてもいいんじゃない。
結局のとこ 生きるのも、変わるのも 自分次第なのよねぇ。
Q&A形式で各宗教のちがいや意味を優しい言葉で解説してあって読みやすい。ユダヤ教から、儒教、神道まで。
冒頭に「宗教学者の数だけ宗教の解釈はある」と書いてあるとおり
ひろさん流解説だと思うけど。
さらにおおざっぱにわたし流にまとめてしまうと
人は生きていくのにしんどいときも
悩んで行き詰ってしまうときもある。
そういう自分だけの力で何とか変えようったってうまくいかないとき、
自分のものさし、社会のものさし(娑婆のものさし)だけで解決できないときに
「かみさま、ほとけさまのものさし」を使うと
自分が楽になったり、変われたりするきっかけになるかもよ。
それが宗教ってものよ。
てことを、どの宗教もゆうてはんねんなぁ〜。納得。でした。
終章では、現代に宗教をちょこっと取り入れた生き方のすすめ風のものが書いてあります。
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■物差しをもう1本持つ
そしてもうひとつ大切な言葉が「ダブルスタンダード」です。「スタンダード」とは物差しのことですから、「2本の物差しを持つ」ということですね。
娑婆世界でいきるわたしたちは、どうしても娑婆世界の物差しを捨てて生きることはできません。「わたしは持たない」といっても世間が物差しではかってしまうのです。子どもは、いやでも学校で点数をつけられてしまいます。会社に就職すれば、勤務評定という物差しが待っています。社会には社会でさまざまな物差しがありますし、世界には世界のさまざまな物差しがあります。この娑婆世界で生きている限り物差しの世界で生きざるを得ないのです。
それじゃあ、物差しを捨てることはできないじゃないか。
そうなんです。わたしたち凡人には物差しを捨てることはできません。
そこで提案したいのが、もう1本物差しを持とう、ということです。
その物差しというのは、ものをはからない、という物差しです。「なんだっていい」という物差しです。別の言い方をすると、すべてをありがたいなあ、とはかる物差しですね。どんなものでも、ありがたいなあ、と受け止められる物差しです。そういう物差しを持つことが「ダブルスタンダード」なのです。
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あるがままを受け止めて
そこから先どうするかは
2本の物差しを使い分けてもいいんじゃない。
結局のとこ 生きるのも、変わるのも 自分次第なのよねぇ。
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