6年務めたPTA本部役員を昨日の役員会で退任してきました。
少人数学級の推進委員会の委員長で常任でした。
はじめは0だった少人数学級を
1学年ずつ増やしてゆき
5年で5クラスの増設を定着させました。
5人の先生を増やした、とも言い換えられます。
学校を支えるためのスクールサポーター、スクールアシスタントも増えました。
保護者と地域が学校を支えるスクールボランティアも拡げました。
レールの敷設がやっと済んだ。って感じです。
あとは、常任委員を置かずにすむように段取りをつけました。
この先何年も続いてゆく戦いだから。
カツカツの教育予算の中で
子どものためにこころをくだいてくださる方にふれることの多かった6年でした。
教育長も、校長先生も、教頭先生も、教組の組合長も、現場の先生たちも、
市議さんも、県議さんも、市長も、県知事も、地域のボランティアさんたちも、保護者も、
「なんで子どものために金を使えんのか。」
と、”予算の構造”にめげずに立ち向かう人たちばっかりでした。
子どもを育てる、ということは国づくり、未来づくりだ。と。
根幹の部分に水やりしなければ、いずれ枯れてゆくと。
現場の志ある奮闘をささえるひとが
国のリーダーにならなければいけないんじゃない?
というのが田舎のおばさんの強い強い実感になりました。
少人数学級の推進委員会の委員長で常任でした。
はじめは0だった少人数学級を
1学年ずつ増やしてゆき
5年で5クラスの増設を定着させました。
5人の先生を増やした、とも言い換えられます。
学校を支えるためのスクールサポーター、スクールアシスタントも増えました。
保護者と地域が学校を支えるスクールボランティアも拡げました。
レールの敷設がやっと済んだ。って感じです。
あとは、常任委員を置かずにすむように段取りをつけました。
この先何年も続いてゆく戦いだから。
カツカツの教育予算の中で
子どものためにこころをくだいてくださる方にふれることの多かった6年でした。
教育長も、校長先生も、教頭先生も、教組の組合長も、現場の先生たちも、
市議さんも、県議さんも、市長も、県知事も、地域のボランティアさんたちも、保護者も、
「なんで子どものために金を使えんのか。」
と、”予算の構造”にめげずに立ち向かう人たちばっかりでした。
子どもを育てる、ということは国づくり、未来づくりだ。と。
根幹の部分に水やりしなければ、いずれ枯れてゆくと。
現場の志ある奮闘をささえるひとが
国のリーダーにならなければいけないんじゃない?
というのが田舎のおばさんの強い強い実感になりました。
コメント
この数日前までなら、きゃおさんの意見もなるほどと思っていたけど、どうやらそれは大きな間違いだと思うようになってきた。
なんで、教育予算で教育せなあかんの? それ税金やん? なんで、その配分権を役人が握ってるの? おかしくない?
自分たちの教育は自分たちで選び取れなければウソです。
だから、予算が足りなければ、企業の寄付を募るとかできれば、それでOKなはずなのだ。地域の金持とか、教育に理解のある企業とかもいてるはず。
しかし!!!!
日本では、「寄付」というものは存在できなくなってるのだ!
そういう事をすると、その寄付に「税金」がかかるのだ!!!
その方がおかしい。
なんで、何の役にも立ってない役所が税金をぶんどるのだ。おかしかろう。
で、企業に献金を求めると「特定企業の色がつくから」とか言って、それを嫌がる。
そんな事は現場がしっかりしてたら、ふらつくことではありません。
だから税金とかの予算取りが大事って言う発想そのものがおかしい。非効率的なのだ、と考え直すべきなんですよ。
で、結局、「寄付」から分捕られた税金は役所のトップとかが、とんでもない額の給料としてポッポないないして、で、現場の教育の実態を知ってる人間が苦しんでても関係ないわけよ。その校長や教頭の退職金の額がどの程度で、それが本当に国民平均と合致しているかどうかをこそ、徹底追求しないとダメなんですよ。その退職金の一部でも現場に使えば全然違うはずです。
その額を調べましたか?
たぶん、校長も教頭も、人間的にはとっても良い人なんだとは思うけど、お金はお金で冷酷なものです。いったん国庫に入れて、間でいろんな役人が搾取して、だから現場に降りないのだ、ということをこそ、正しく認識すべきなのではないですか?
そうい余分な人間と税金のムダ使いを排除するのが先。だと最近は強く思う。
徹底した減税策を要求するのが正しいし、国の役人を減らす方向で考えるのあるべき姿だと、私は思う。
これはまったくその通りです。
わたしがお話した方たちはみなさん同じことをいっておられます。
使われるべき所に使われない税金に怒っておられます。
予算の分配に苦労する、という情けない「予算の構造」が、おかしいのだということに気づいていない人はいませんよ。
だから、
余分な人間と税金のムダ使いを排除するのが先
というのもその通りで、
そのために、それをできる国のリーダーが必要ではないか、と思うんです。
リーダーの志ひとつで変わるんですもの。
ただ、献金や寄付といった私助で公教育にかかる費用がまかなえるのか?というと
そこには「格差をよしとする私立校」とは理念の違いがあるのではないでしょうか。
また、教育が景況に左右されることがあっても困ります。
ケタの違い、というのも壁かもしれません。
県知事と話をした時に、県内の全公立校の1学年を少人数学級配置するために1年間で5億円かかる、という試算を聞きました。
その後県知事は県内すべての3学年について少人数学級を実現してくれたので年間15億円を動かしてくれたことになります。まだまだやってもらうつもりでいますけど。
秋田県は全国で早くから知事の判断で県内の小中学校の25人学級を実現したのですが、
そのとき県議会の議場で「橋や道路の1本や2本がまんしたらカネはできる。それよりも未来のためにカネを使いたい。」と説得したそうです。
そんなリーダーが地方にはいっぱいいる、現場にはいっぱいいる、ということです。
なにも子どものためばかりじゃありませんよね。
生涯にわたって「自分の教育を自分で選びとれる」ようなよい教育環境が整備されるためにも、
「税金のムダ使いを排除」する大ナタがきちんと振るえるウデのあるリーダーに立ってもらいたい、と強く思います。
ま、誰でも教員の知り合いの一人や二人いるだろうから、いっか。