あれ、すねから血が出てる。別に痛くないしいいか。
と、ウッカリケガの多いわたしはたいして気にも留めず
まわりを汚さないように、とちょちょいと拭いておしまいにして
洗濯物の山(まさに山)にとりかかっていたときのことです。

 「あ~(悲)、血が出てるよ?」とハルさんがやってきました。
母「うん。」
ハ「いたいねぇ?」
母「いやーそうでもないよ?」
ハ「ちょっとまってて。ばんそこ、とってくる」
母「えー、いいよ~、たいしたことないよ。」
ハ「まってて。ここでまってなさい。」
母「高いとこにあるから、救急箱届かないと思うけどなー。」
ミ「下にお父ちゃんおるから、お父ちゃんに取ってもらい。」
母「寝てると思うな。」
ハ「いってきまっしゅ!」

階段を降りていくハルさん。

しばらくして手ぶらで戻ってきました。
ハ「ハーちゃん、とれなかった。(悲)」
母「そうかそうかいいよいいよ」ぎゅうううううううう。

ミーちゃんが階下に向かって「とったらんかーい!(怒)」と指導していました。
(返事はありませんでしたのでやはり寝ていたと思われます。)


ハルは2歳9か月。
ほんとに、人のことよく見てる。
気がついて、どうしてあげたらいいかな、なにをしようかな、って自分で動くことができる。
いいところだなぁ。
教えたわけではないし、教えてできることでもない。
この人の持って生まれたいいところのひとつだ、と思う。
こんなにちいさいのに、自分の物差しがちゃあんとある。
やさしくて、すこし頑固な物差し。

ハルがこんな子で、とってもうれしい。

コメント

シゲ
2009年7月6日11:53

すばらしい!
ハルちゃんすばらしいねぇ。

んー、でも、前世がきゃおさんのお母さんだったのかも。
だから、きゃおさんに対してだけかも。
で、大人になったら前世の記憶がなくなって、普通に自分勝手になるかも。

それはそれで楽しいけど。

べー
2009年7月6日23:47

か、かわいいっ!
教育的指導もスバラシイです!
そんなステキないいところ、
きゃおるさんのおなかから持って来たんですよ
素敵なおなかでした☆

きゃおる
2009年7月8日6:03

>シゲさん
ムー的~~~~。定期購読してるのもしかして?

まいにちハルさんのおかげで笑顔です。

>べーさん
ハルさん、ミーさん、ベストコンビです。
ありがとうございます。おなかをほめられたのははじめてです。うれしい。
すてきなおなか、見た目もすてきになるようビールやめようと思うの。きっと今日からは!

シゲ
2009年7月8日7:44

ムーは読んだことないのよなぁ。
でも、2歳児くらいの子供の大人びた態度は、「前世の記憶」として語られる事が無茶苦茶に多いのですよ。いや、ほんと。でないと説明がつかない事がすごく多いのだそうです。科学で説明のつかない事のひとつとして、私が大変興味を持っている事例のひとつなのです。
もっともっとハルさんの言動に注意してみよう!3~4歳になると前世の記憶とか消えてしまうらしいし。いやほんま。

きゃおる
2009年7月14日5:22

前世かぁ。
ロマンチストやねぇ。

シゲ
2009年7月20日19:02

コメント欄を読む人も少ないと思うので、ちょっと解説を。

前世の話を「ロマンチスト」と捉える捉え方は、かなり大きく間違ってるわけよ。
そうではなくて、「子供が不思議な発言をした」と言うことの説明として、

●前世説

をとるのが、もっとも論理整合性が高いように感じる、というのが誰もにあって、でも、その科学的説明がつかない、というのが現実問題なわけです。
前世説を採るというのは、だから「ロマンチスト」なのではなくて、「リアリスト」の人が多いのです。

よろしいですか?
たった二歳児が、

「ちがうでしょ?かわいいのは、おかーちゃんでしょ?」

「いたいねぇ?ちょっとまってて。ばんそこ、とってくる。まってて。ここでまってなさい。」

と、まるで「母親の親」であるかのような発言をしたと言うことに説明として、


●(この子は、)ほんとに、人のことよく見てる。
気がついて、どうしてあげたらいいかな、なにをしようかな、って自分で動くことができる。
いいところだなぁ。

という親ばか丸出しの説明と、

●前世、きゃおさんが娘でハルさんが親であったことがある。

という説明の、どっちの方が「説明として納得しやすいか」の問題なんです。前世説を採る方が、よっぽどこまかい、部分的な言葉の「意味説明」が通りやすいんです。

「ちがうでしょ? かわいいのは、おかーちゃんでしょ?」という発言が人のことをよく見ているキャラクターということで説明できるか? というと、これはかなり無理のある説明だってことです。「ちがうでしょ?」という上から目線ですからね。「人のことをよく見ている」だけでは、この「上から目線」の説明になっていない。ようするに「説明として不備がある」ってことなんですよ。

ようするに「説明がつかない」ってことです。

これこそが、リアルな現実直視なんです。

そうなると「上から目線」の説明は「前世説」くらいしか考えにくいって事になるのです。

そういう事がとてもたくさんあるのが、この子供の「過去の記憶」問題なのです。
「ロマンチスト」というような適当な言葉でごまかさんとって欲しいよなぁっちゅうのが、まぁ、僕の意見です。

もっと現実を素直に見よう。
他に、より適切な「説明」があるか?
あれば教えてください。
僕はないと思う。

きゃおる
2009年7月21日8:44

「適切な説明」
うちには常に上から目線の物言いをするおねえちゃん(ミー)がいるのでねぇ。

---

過去の記憶は過去の記憶でも
ほんの少し前に「おねえちゃんがゆってた。」「おにいちゃんがこうしてた。」「おかあちゃんがいつもする。」てことの焼き直しなんですよ。
このくらいの歳の子どもにとって、周りの人の接し方がそのまま自分の行動の手本になるんですよ。

上から目線は姉から学び、母親のいうままをイントネーションまでそっくり真似した。
表現の部分は真似であっても
その核になるやさしい気持ちは彼女本人の生まれ持ったよいところ。というおはなしです。

毎日一緒に暮らして2歳児の表現の由来が思い当たるわたしから見たら
「前世だ!」と思いこむシゲさんもまた あれまぁ、かわいらしいなぁ、と思いますよ。

シゲ
2009年7月21日14:22

うーむ。なるほどね。きゃおさんが、そう思いたいのなら、まぁそれはそれとしておきましょう。

でも「思いこみ」とか「ロマンティック」って言う表現は、基本的に科学的じゃないんよ。
それこそが、かなりキツイ「思いこみ」なのだと気付いていないのが、かなり人間として、親として大問題だと思うなぁ。

なぜなら、「前世があるかも知れない」という仮説を否定してるから。仮説を否定して、科学の進歩はありえない。
そこは正しく認識してもらいたいなぁ。
わかる?
仮説を否定するのは科学じゃないんよね。

わからないものを、わからないとするのが正しい態度なんです。
で、人間の命とか性格とか、生きていること、というのは、基本的には「わからない」ことなんです。
でも、わからないものを「わからない」ままに置いておくと、いろいろとても不安だから、わかりやすい理屈をつけて安心するわけです。
まぁ、だから、「姉の口まねをしてるんだ」の方が、家族にとってわかりやすい説明なら、それでよし。生活の知恵やね、っちゅうことです。

でも、それは「前世はないということになっている」という常識的判断でしかないんですよ、どこまで行っても。
で、「思いこみ」とか「ロマンティック」というのは、単なる「根拠なき決めつけ」でしかないわけ。で、そういう「根拠なき決めつけ」というのは、おうおうにして、自分で気付かずに無意識にしてしまっているわけです。

で、たいていの科学上の大きな発見は、そういう「根拠なき決めつけ」によって阻害されるわけです。「××が○○のはずがない」という無意識の決めつけですね。

で、やっぱり、偉大な人の父や母という人は、最低限この「決めつけ」だけはしないんですよ。
子供の常識では捉えられない発想を、何の予断もなしに、そのままストレートに受け取る。「子供の戯言」とは考えない。素直にそのまま受け取るんです。そしてそれをそのまま応援するんです。

実際、前世研究での多くの事例でも、それこそ子供が「上から目線」で言ってきた時に、子供の戯れ言と思わず、子供の「空想」に話を合わせ続けてたら、なぜか子供が知っているはずのないお爺ちゃんの話が出てきて、それが現実にあまりに符号しすぎていたという例が多いのです。
まず最初に「親の態度ありき」なんですよ。

だからまず、くりかえし書きますけど、(これで3回目やで。)「思いこみ」とか「ロマンティック」って言う決めつけは、単なる常識による決めつけで、非科学的で、親の横暴でしかないって事です。

そういう決めつけは「科学じゃないよ」と言う話をしてるのですから。
ポイントはそこ。
あまり何度も言わせないように。

もちろん、現実的には、家庭で科学実験をするわけにもいかないし、「わからない」のまま、宙ぶらりんもしんどいですから、「兄弟の影響」とかの常識で納得しとくしかないわけですけどね。

ともあれ、根拠なき決めつけは科学じゃないのよ。それは。どうしたって。
わからないものは「わからない」です。
どこまで行っても。
それが正しい態度です。

シゲ
2009年7月21日14:59

説明不足だったかも知れないので、追加補則。

日本では科学工業が発達してるおかげで、精神的なことやら死生観みたいなことは、全部「非科学的」と、ひっくくって済ませてしまう風潮がありますが、こういう風潮こそが、かなり土俗的な「まじない」レベルの判断なのだ、という事が、あまり理解されていません。

地球レベル、ワールドワイドな「世界の常識」においては、宗教と科学というものは、対立項であって、どちらに属することかを決定することはかなり厳しく問われている事柄です。

科学は基本的に「再現性」こそが求められます。同じ条件での実験などで、誰がやっても必ず同じ事ができる。そういうものが科学です。そのためには論文に、どんな実験機器を使ってどんな条件で実験を行ったのかを細かく細かく書き示します。そういう限定性なしに「繰り返し」の保証はできないからです。
で、我々が日常、恩恵を受けている科学の結果というものは、そういう「誰がやっても同じことができる」という事柄の結果です。

でも、しかし。
それができたからと言って、科学で子供を産み出すことは、いまだかつて、できていません。
だから、命に関する事柄や、心に関する事柄は、おおむね宗教の側の領域になります。

で、宗教と科学の境目は、少なくとも欧米では毎日、毎時更新し続けられていくようなものなのです。

宗教の側は「奇跡」をその根拠とします。科学によって説明できないものを、基盤にするのです。なによりの奇跡は、人が生きていること、言葉を覚えてしゃべることなどですが、たとえば、キリスト像が涙を流しただの、なんだかんだ、そういう「奇跡」のたぐいを、ずーっと集め続けております。

で、それらは、科学で説明がつくたびに「奇跡」のリストから外されて行ってるわけです。
それをえんえん、日々の作業としてやっている。それが宗教というものなわけです。

宗教と科学は対立事項である。
そのどちらも、日々、証明しあうことを続けている。
証明できないものは未証明であり「わからない」ことである。

そういう真摯な態度こそが正しい態度なんですよ。世界標準の学問ではね。
まぁ日本では「科学教」という土俗宗教が幅をきかせているので、まぁそれはそれとしてみとめざるを得ませんけど。それは科学のように見えて、実はかなり幼い土俗的な宗教なのだってことです。
ここいらを正しく認識してくださいね。

ということで、
「ちがうでしょ?かわいいのは、おかーちゃんでしょ?」
と言われたときに、ともあれ「なんで違うの?」とは問わなかったのだから、そこから先の答えはすべてが闇の中です。
「それは違う!」と指摘されたのに、それをちゃんと受け止めなかったわけですね。それは。
まぁ受け止めなくても別にええんやけど。

でも「受け止めなかった」のが事実だって事ですよ。

きゃおる
2009年7月21日20:32

なるほど。わたしの育て方が間違っていると。なるほどなるほど。

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