通夜はない。家族だけで見送る。ということを
親戚と母の友人に電話で伝える。

町内会には組長さんに家族葬です、と伝えたら
最近はみなそれです。回覧を回しておきますね、とお悔やみいただきました。
あっさりしてるなぁ。都会は。

となりと向こう3軒にはわたしがあいさつにゆく。
母は近所が嫌いだったから怒るかなぁと思いながら
唯一の外交ルートだった娘のわたしからご近所にお伝えする。
外交ルート、約20年ぶりに回復。

午後に母の友人が住吉から訪ねてきた。
初めてうちまで来たという。
名前だけはどんなに聞いたか知らない初対面のおばあさん。
これがまたにぎやかな、母がよくしてたモノマネそっくりのしゃべりかたのひとだったので
初めて会うと思えない人で
笑って泣いて母の短歌の下書きノートを母の作った肩掛けカバンに詰め、母の編んだニットのベレー帽をかぶって
「またくるわ!」と帰って行きました。
母の笑い声が聞こえた気がしました。

夜にかけて次々と電話がかかりお悔やみを頂く。
家族だけで見送ります、と伝えたらお花を送っていただいたりもした。


母が総評を頼まれていた短歌誌の主催の先生に電話をする。
先生のあて名を書いて、原稿在中と朱書きしてある封筒が机にあったのですが
こんなことになってしまって少し発送が遅れてしまうかもしれません。
間に合わなければご迷惑をおかけしてしまいます。
おいそぎでしょうか。

先生絶句。
残念です。きのうが今年最後の歌会でした。とおっしゃる。

先生、きっと母、自由な体になってうかがってたと思います。きたかったのよ、って言って。

ちょっとだけ電話の双方で泣く。



50代からの母の青春が短歌だったから、
母の友だちは10代から90代まで
学生から学長まで幅広い。

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