確認。

2011年12月11日 日常
友だちの娘が家出した。
どうしたらいいのかずっと考えている。

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言い争った興奮のままに怒りが収まらなくて感情が暴れて
わたしにすがりついてくる彼女の話を聞きながら
はやばやと、ああこれは依存だ、と思った。

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わたしは解を持っていない。
解なんてないだろう。
解は子どもと親がむきあってぶつかりあっていく中にしかない。

それなのにわたしは彼女につきあって方策を考えている。

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わたしは彼女にも彼女の娘にも責任を持てない。
わたしは私にしか責任を持てない。
それがわかっているのに
彼女のトラブルのケアに入り込んでいるのは
恐ろしく無責任だ。

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気持ちが悪かった。
なぜかとても気持ちが悪かった。

わたしが肩代わりのできるようなことじゃないのに
わたしがでしゃばってなんになるのだ、という感覚と、
でも私を頼ってきてるんだから私がなんとかしなきゃ、という気持ちが
どんどん私を責めてきてとても気持ちが悪かった。

気持ちが悪いのは
わたしが自分の気持ちに素直になっていないからだ。

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わたしが引き受けていい責任じゃない。
これは、わたしのものではない。

なら、なぜ、わたしはここにいる。

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トラブルを抱えてすがってくる人に頼りにされて
助けてやろうという傲慢な気持ちがあったのじゃないか。
自分ならできるとおもっていたのじゃないか。
頼りにされることがいい気持だったのではないか。
いいひとに思われたかったのじゃないか。

できもしないのに
できるようなつもりになって
解のないトラブルに足を突っ込んで
相談に乗ったりして

そういうのは
いい人ぶっていけすかない。というのだ。

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自分のできることを見極めて
自分のできることをしよう。

彼女の苦しい気持ちを聞くことはできる。

彼女を励ますこともできる。

彼女をいたわることもできる。

彼女の娘の苦しい気持ちを聞くことができる。

彼女の娘のほっとできる居場所になることができる。


それだけだ。

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いくら私に解の出せない、責任の持てないことだとしても
目の前に傷んでいる友達と子どもがいたら
自分が傷つく結果になっても
手を出さずにいられない。
それは性分だ。

責任を取るべきでないのだから
目の前で傷ついていても関わりあうな、と今日は言われたのだが

それは正しい、と思いつつ

それはなんと冷え冷えとしていることだろう、と暗澹とした。

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わたしは
わたしが傷つくことも織り込み済みで
人と関わっていく道を選ぶ。

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キツイ。

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