暴力をふるう人は、怒りがコントロールできないわけではない。
コントロールはしている。だから日常が、社会生活が送れるのだ。

怒りは、ある特定の人に向けられている。

暴力とは体が傷つくものだけを言わない。心が傷つけられるものももちろん暴力だ。

なぜ暴力をふるうのか。
それは即効性があるからだ。
暴力による痛みや恐れで相手をコントロールできると考えているからだ。

暴力をふるう相手への
優越性と
支配
の関係を維持したいから暴力をふるうのだ。

だから、
相手への優越性がおびやかされたとき、
相手が平等を望んだとき、
相手との関係が維持できないと感じたとき、
怒りのスイッチが入り暴力をふるう。

その怒りは仮面である。

怒りの仮面の下には、過去の傷つけられた体験から獲得された
寂しさ、悲しさ、悔しさ、不安が潜んでいる。

暴力をふるうひとは
自分の怒りの仮面の下にある
ありのままの自分の感情を見つめ
自己肯定を高めることで変われる。

幼児期に培われるはずだった
失われた自己肯定を回復させることは
不可能ではないが
とても困難だ。

コメント

kaichu
2012年3月3日1:39

うむ~・・・。これを読んだ後に知らないおっさんからいきなり殴られたり、喧嘩を吹っ掛けられたり、痴漢にあったりしてた日本の日々を思い出しました。
ありゃーなんだったんだ~?

日本人の人はとにかく他人と自分の境界がはっきりしていない人がものすごく多いので、ちょっと怖いなあと思うことはしばしばです。最近は見えない壁を作ることが上手になったと思うけど。

きゃおる
2012年3月3日6:58

関係のある間柄での継続的な暴力、虐待の話だからねえ。

他者との境界がないのは、怖い。
ていうのはとてもいいヒントもらいました。ありがとう。

たま
2012年3月5日2:51

「不可能ではないがとても困難」

その絶望ですらない感じに、やるせなさをかんじました。
人生そのものだねぇ。諦められれば、楽なのにね。
諦めきれないんだよね。


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