10にんのきこり

2008年1月12日 読書
10にんのきこりが
森の10本の木を1本ずつ切り倒していく話。

木を切るたびに
「まだある まだある。」というきこり。

「のこりは 3」
と、だんだん残り本数がカウントダウンされていくのに

「のこりは 1」
の次に 10人目のきこりが最後の1本を切り倒すと
トラがあらわれて10人のきこりをペロリ。

「0」
と大きく書かれたページに、
ああ、なんにもなくなっちゃったなぁ。って迫力があります。

インドは0を発見した国なんだなぁ。

ながいながい

2008年1月12日 読書
ハルにも図書館カードを作ったので
母子5人で50冊借りて帰っています。

絵本の書架でタイトルや表紙の感じから
母兄姉でどかどかと選びます。
たのしい。

ハルをひざに乗せて
「この ともだちは ながすぎる」のページまで読んだところで
「ええっ!最初っからともだちぃ?」と
モックンがあわててはじめのページに戻っていました。

中学生も意外さ、楽しさ、可笑しさに
一緒に入ってけるのが絵本のいいところだよねぇ。
「どうして にんげんは死ぬの?
さえちゃんは、死ぬのはいやだよ。」
なんて、子どもは言う。





死ぬのはいやだよー。と、
だきしめていっしょに泣いてくれる人がいる
心の安らかさったらないよな。と思ったら泣けてきました。
子どもの頃読んだときは
エルフがかわいそうでかわいそうで読むたびにボロボロ泣いた本。
泣くから読まない、と決めた本。

ハルに読んであげてて
ああ感じ方が変わったなぁと実感。


「エルフは じぶんの からだのことなど わすれて
なんとか たすけてやらなくてはと おもいました。」

このエルフの気持ちの部分を
子どもの頃のわたしは エルフがかわいそう、と思いながらも、頼もしいそんなエルフにそばにいてほしい、と感じていたけれど

「自分のことなど忘れ」るのはあたりまえの愛だ。
愛の強さって、たぶん、わたし、知ってる。
強情でもわがままでも自分本位でもなく
ただただ優しい気持ちだけの、でも、けして折れない強さだ。

木陰になったエルフを、むかし子どもだった頃のように
「かわいそう。」と泣く私じゃなくなりました。
ダライ・ラマ「愛情と慈悲についてお話すれば―このふたつはわたしたちの言葉の中では本当によく一緒に登場します。―、いくつかの点でちがいはあります。まず最初に、男女間の関係について言えば、愛情は親密さであり、性的な欲望を伴う感情です。執着の感情に支配されている限りは、その愛情はよくない感情に分類される、とわたしたちは考えます。別のレベルで、例えば乳児とその両親の間でつむがれる緊密なつながりのような愛情や母性的な慈愛があります。これは情熱的な執着ではありません。母親は子どもに何も期待せず、ただその子に責任を感じ、なにごとにおいてもその子をしあわせにしようとします。この無償の愛情は、真の慈悲心に通じるのではないか、とわたしは思います。さらに突き詰めていけば、真の完全な慈悲心とは、自分の敵にすら愛情を感じるということに他なりません。真の慈悲心には執着心は少しもありません。つまり、目の前にいる相手が自分に害を与えようとやってきたことを知りながら、相手の悪意を止めるためにあらゆる用心をし、同時に相手を気遣い、相手を愛する。これこそが、真の慈悲心なのです。」

おさるのおうさま

2007年10月17日 読書
ハルが歩けるようになって
ぼちぼち母の外遊びも活発になってよろしいのではないか。と思う今日この頃。

なんだかばんばん予定が誰かによって組まれてゆきます。
オリエンテーリングの受付やってちょうだい、だの
フリーマーケットの値段付けを手伝って、だの
ストローミュージックのコンサートの実行委員になってね、だの
1歳児の託児をおねがい、だの
教育委員会に行きましょうよ、調整してね、だの
市議さんに話しつけておいてね、だの
市長との懇談会わかってるわね?、だの
バリアフリー探検のつきそいにきて、だの
大人の工場見学行くでしょ?だの
パンフレットの印刷仕分け手伝ってね、だの

「子、子連れなんだけど。」
「いい!いい!つれてきて!」

断れない性格の母に連れられて、ハルたんは県庁にもゆきました。
うう。母はですね、「遊び」にゆきたいのですよ!

そんなこんなで 読み聞かせも再開です。

いとうひろしさんの「おさるのおうさま」を選びました。
人権の秋(学校で人権教育や講演会が増えてくる)だしね。

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小さな島で楽しく暮らすおさるくんのもとに
おもちゃのサルが流れ着きます。

これは王様に違いない。だって王冠を両手に持っているもの。
親切にしてあげなくちゃ。とバナナをあげたり、木の葉のベッドを作ってやったりいろいろ世話を焼きますが、
王様はどれも気に入りません。
歯をむいて王冠を打ち鳴らすばかりです。

めんどくさくなっておさるくんは仲間のところへ戻り、ご飯を食べリラックスしました。
ときどき王様の打ち鳴らす王冠の音が聞こえたような気がしたけど。

かわいい小さな妹と遊ぶことにしました。
しばらく仲良く遊ぶうち
妹はぐずぐずしだして、しまいにゃ大泣きしてきました。
バナナも木の葉のベッドも気に入りません。

いもうとが王様になってしまったようで怖くなってしまいました。

お母さんがきておっぱいをあげてあやすと、いもうとはもとのかわいい小猿になりました。

おさるくんは、「おかあさんならおうさまのきもちがわかるかも!」と
王様のところへおかあさんをつれてゆきますが
王様は、もう、いなくなっていました。

おかあさんは笑って言います。
お母さんにも王様の気持ちはわからないと思うわ。
お母さんには妹ちゃんやおさるくんが王様に思えることもある。

えっ。みんながおうさまになっちゃったら!たいへんだよそんなの!
たいへんだよね!?
と心配するおさるくんですが、お母さんはそうかしら?と笑っています。

お母さんが帰ったあと、おさるくんは王様のことを考えました。

王様はいやだし、何をしてほしかったのかわからなかったけど。
でも。
もう少し、そばにいてあげてもよかったな。
もう少しだけ。

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自分以外の誰かのことなんて簡単に「わかった」りはしない。
人の気持ちをわかってあげるのは とってもむつかしいことなんだ。
そこんとこを ああ、そうだなぁ、と気づくとこから
ひともじぶんも大事にできるひとになれるんだと わたしは思う。

子どもたちは、気づいたかなぁ。
ちょっとずつ、じん、と沁みていけばいいなぁ、と思いながら読みました。
  


   

伊勢生まれのオットのお参りが、
神領民の正しいお参りだと思ったら大間違いさ!

この本を読んで、はじめて、
ご正宮の裏に「荒御魂」をおまつりしたお宮があることを知りました。

行くたびに気になっていた怖い感じの裏の森に続く道。
「あっちはなに?」とたずねたら
「知らん。倉庫ちゃうか?」などと長年ウソつかれてました。
(ヒゲくん、ほんとに知らんかっただけですが。)

和魂よりも荒魂のほうが神様の直(じか)のパワーが強いので
個人的なお願いごとを荒魂に願う方は多いんだそうです。

成り立ちも、そのたたずまいの拝見のしどころも、よくわかりました。
うん。これは、この要領でちゃんとおまいりしなくては。

行きたくなった。近いし。すごく近いし。

住吉大社

2007年7月17日 読書
伊勢神宮を借りようと思ったのですが、なくって。
なじみのある「すみよしさん」を借りてきました。

住吉さんの、海の三神て、天照大神と出現が同時だってことをはじめて知りました。
ああ。うかつだった。わたし。
イギリスのカリスマベビーシッター、トレイシー・ホッグ。

ほうほう。
カリスマは、赤ちゃん語がわかるのかぁ。すげいな。
ベビーサインとかいうやつか?
と思って手にとって見ました。

「トレイシー!あなたの本のとおりにやってみたのよ!
でも、マックスはちっとも寝てくれません。
もうわたしは限界です。どうしたらいいの?」

「あらまぁ。マックスのママのシェリーは、疲れ果てているようですね。」

おお。
深夜の通販モードだ。
ビリー・ザ・ブートキャンプ売ってる枠。

トレイシーがアドバイスする子育てはシンプルで合理的。
もちろん欧米スタイル。そりゃそうだ欧米向けだ。
赤ちゃんが子ども部屋のベッドでひとりで寝られるようにしつける方法が事細かに書いてあります。

日本の子育て事情と、欧米の子育て事情の違いを楽しみ、
日本も欧米もおかあさんたちは赤ちゃんに振り回されつつ頑張ってるんだなぁ、とママたちの泣き言に共感し、
どこの国でも赤ちゃんはかわらないなぁ〜と楽しく読みました。

トレイシーおすすめは9ヶ月からトイレトレーニングをはじめることですって。
うそぉん。
中学では「朝読」という時間があるそうで
毎朝授業の前に好きな本を読んでいいことになってるらしい。

得意分野なので
嬉々として毎日図書館で借りた本やら、自分ちの本やらを、持ち込んでいたモックン、
1ヶ月経ってそろそろいいと踏んだのか、言いまつがい を持って行った。

クラスの友だちが えらい食いついたらしい。
ウケてウケて、本はぐるぐるクラス中を回っているらしい。

そこで「金と銀の言いまつがいも買って。」と頼まれた。
うむむ。んじゃ、アマゾンのユーズドで買ってみようか。

アマゾンのユーズドは初めての利用です。
出品者が直接郵便小包で送ってくださるシステムのようです。
モックンに説明したら、
「ふうん。じゃ、すぐってわけじゃないんだ。」
「そうねぇ送ってくれる人の都合もあるだろしねぇ。」
「遠足に間に合えばいいかな。」
「古本だからねぇ。どんなのがくるかもわかんないし。」
「読めればいいけどねぇ。」
なんて言ってたのですが。
出品者からていねいな包みであっという間に届きました。

へぇ〜。
古本のていねいな扱い方、梱包のていねいさ。

なんて日本の国は 良心に満ち満ちているのかしら。と思いましたよ。

金の言いまつがいは、「もったいないから遠足にとっとく。」と
銀の言いまつがいを学校に持ってゆきました。
先生からも「それはいったいなんですか?」と食いつかれたそうです。
ハル対策。

底なし中学生男子+モグモグ期乳児+メタボラ・オット

どないせいちゅうねん。
台所にひとり雇てくれっちゅうねん。

さて、モグモグ期である。
この時期が一番ややこしい。
「ミルサーでガアッッッっとやっとく」だけではすまなくなる時期だからである。

しかし離乳食らしい離乳食の時期でもある。
ひき割納豆をこまかくみじんに切って、くたくたに炊いたほうれん草とお粥にまぜたり、
新タマネギとかぼちゃを柔らかくスープで炊いてつぶしたり、
バナナをつぶしてヨーグルトで和えてきなこをまぶしたり、

大人の食べない代物を
ほんのちょびっとだけ特別におつくりいたします。

ああ、もうすぐに、おにぎりを片手に握りつぶしながら
ご飯まみれになって一人食べするようになっちゃうんだろうなぁ〜

こんなゆるゆるとろとろのものを
お口に運んでもらうのをおとなしく口をあいて待ってるのも
あと少しかと思うと

ハルさん一人分だけを
ジャージャー揚げ物をしながら用意するのは結構楽しい。
ヒゲ対策。

底なしに食う中学生男子と
ゆるゆるとろとろの制限つきの食事を始めたばかりの乳児と
メタボラーなオット。

この本は主菜+副菜A+副菜Bをマークで選ぶ式のもので
一人分の材料の量が事細かに記されております。

なのですが。
大雑把なワタクシのこの本の活用法は

?夕飯をその日の気分で作る。

?夕飯のメニューに相当するメニューを本から探す。

?1600kcal用の一人分量に「おおまかに」あわせる。

たとえばサバの塩焼きをした場合、
「サバー、
ないか、
じゃさんまの塩焼きで、ええと?55グラム。
ふむ。これ一切れで58グラムかぁ。んじゃ、これで。
で?つけあわせが、大根おろしとすだち?
じゃ、しし唐のきんぴらは抜きで。」
などとやるわけです。

ご飯はお茶碗に軽く一杯の150グラム。

お弁当箱にご飯を適当に詰めていたのも測ってみたら
今まで250グラムも詰めてたのがわかったよ。
きれいに食べて来るんだもん。しまったなぁ。


もう今年は夏のスーツは買いませんよ。
   



うひひひひ

たっのすぃ〜〜〜〜


いわゆる「赤ちゃん体操」。
3,4年前になんの因果かお勉強したものである。
なんならこの本で紹介されてるよりも充実した
45分コースのプログラムも組めそうである。組まないけど。

ああ、こんときにこういったように上腕三頭筋を意識したらば
おかんの「二の腕プルプルトレーニング」にもなるわけだぁ
などと、オカン引き締め体操に勝手に改造したりとか。

みっちり体育会系のご指導を受けたがために
深く正しい理解の下 こういう本が楽しめます。
「やればできる」ということが「ちゃんと生かせる」ていうのは
自分の気持ちがすっきりと健康になります。

あれもなんでこんな文化会系のワタシに
エアロビクスなんてヘンなもんが降ってわいて
唐突に幼児体操のインストラクターだなんてケッタイなことになるのやら
得心できないままだったのですが
どうやらこういうところに着地したようです。

うむ、そうだったのか!

すべてはハルさんのためだったのかもー

ほんまにまぁ ワレを忘れたオヤバカでござるよ。ぷぷぷ。

国家の品格

2006年12月29日 読書
キュートなおっさん藤原正彦先生は今年前半のお気に入り。
この本は読みたいな、と思ってるうちに
あれよあれよと火がついて大炎上してしまったので
もちょっと冷えてからね。と、横目で見ては通り過ぎていました。

講演を元に起こしたこの本は、
藤原センセのキュートさに目くじらを立てない人が読むのに適した本です。
て、藤原センセの本、そんなんばっかりやけど。
図書券を懸賞で当てた。
ひやっほう。5000円分。

ということで本屋に行ったが
今年は読んでない新刊が多すぎてどこから手をつけていいのやらもー。

とりあえずしつこいほどテレビで大騒ぎの東京タワーを読んでみることにしました。
リリーさんが、大泉洋だったり、オダギリジョーだったり、速見もこみちだったりするあれです。
どやねん。そのキャスティングの暴れっぷりは。
そんなに読み手を振り回す本なんかい。

オカンが大好きなボクの話だ。
ああ、もう、男の子って、もう。

そうですよ。
オカンは、子どもを愛して愛して愛しておるのですよ。
それはもう普遍なのですよ。
気づかれなくても、ただひたすらに愛しておるのですよ。
死ぬ間際になっても、なすびの味噌汁をあっためて飲みなさい、なんていうのですよ。

自分のお腹の中に宿り、自分が産んだ自分の子どもは
無条件にいとおしくていとおしくてたまらんのです。
オカンは子どもがどんなアホでもヘチャでもいとおしい。
だからこそふんばれるのですよ。

んー。
そう感動超大作大騒ぎぴーひゃららなわけでもないなぁ。
リリーさんのオカン、ステキなオカンだなぁ、と思うけれど。
帯のテンションのようにドバーと涙が止まらないわけでは。

ふと、読みながら隣を見ると
生んだばかりの赤ちゃんが
握りこぶしをぱたぱたと振り上げ振り下ろし
あうーはうーと声を立てている
目が合うと、にぱぁっ、と、とろける笑顔で「好きよ」と言ってくれる

無条件に わたし を愛してくれる見つめる目。


・・・うおー(泣)しーねーなーいぃ〜。(号泣) ←バカオヤ


合わせ技、一本、でした。
ミーちゃんが、これで読書感想文。

さくらこちゃんは、おかあさんにムジツのツミで叱られて、おうちを飛び出した。
大きい町まで行ってやるんだ!と駅までいったら
「家出専用電車」がやってきて、次々と家出した子どもが乗ってくる、というお話。

自分で読んで書いときなよー、は、
「本は読まないことをモットーにしている」ミーにはキツイか、と思ったので、
読書感想文をこれで書け!とは言わず、
「おもしろそ〜」といいながら、声に出して読み出した。
およそ40分の読み聞かせである。

話しのすじに引き込まれて、一緒にページをめくるミー。
読むのはキライでも、読んでもらうのは大好きなひと。

読み終わって、自分で始めから読み返す兄とは違って、
あれこれと感想を言い出したので、
「お〜。そーゆーことを読書感想文に書いたらどうよ〜。」
と乗せてみた。

本のあらすじ、を書いて紹介するのが感想文ではないんだよ、
自分がどんな風に感じたかを書くんだよ〜と、
下書き用に裏の白い紙を持たせると、
しばらくして、下書きを持ってきたので
誤字と行がえを校正してやる。
おお。だいたい課題の原稿用紙3枚クリアだ。

ミーの感想でへぇぇぇぇ。と思ったのは、

「私がお母さんになったら、何か、いけないことをした子の話をちゃんとよく聞こうと思いました。
その子の話しを理解できるかどうかなんて、
この本を読むまで考えたことも全くなかったからです。
私は、自分の生んだ子のことをよく考えて、
その子の話しをよく聞いて、その話を解決したいと思います。
自分の子どもじゃなくても、この方法を使いたいと思います。」

「心が通じあってるから家族。
私は、心というのは、自分を愛してくれる人とであったときに出すものだと思います。
怒ったときや、悔しいときや、好きじゃない時は、出なくなる一方。
でも、ひとつ、明るく楽しいことがあったら、心は大きくなって出てくると思います。
だから、さくら子と、さくら子のお母さんは、最初はけんかをして、心はちぢこまっていたけど、
最後は仲直りをして、心はすっごく大きくなったと思いました。」

ミー、10歳。
こりゃ、すげえいい女になると私は思った。
うっふっふっふっふ。

おつきあいのいろいろのなかで
いばりんぼうさんに出会うことあります。
しかたのないことですけども
正直、ガックリきます。

いばりんぼうさんが、悪いのか
いばられる私が悪いのか
いばりんぼうさんは、
「へ?そんなことでなにをえらそうに?」と不思議な理屈が大好き。

精神科医のモタ先生のこの本は、
そんな世の中にわらわらいるいばりんぼうさんを
タイプ別に分けて、なにが彼らをそうさせているのかを解説してくれているところがおもしろい。

いばりんぼうさんたちは、張り詰めている人が多いんですね。
人に弱みを見せられない!とか、
人よりいつも優位でいたい、とか、
心の奥の劣等感を悟られたくない、とか、
心休まるときのないお気の毒なみなさまなわけです。

できれば、そーゆーみなさまに
ハナターカダカに屁理屈振りかざしてエバラレたくないもんですが、
困ったことにいばりんぼうさんは、
時も、場所も、立場も、相手も、まったくTPO無視なのも特徴ですから
唐突にアタックされることがほとんど。

では、そういういばりんぼうさんたちと、
どんなふうにうまくつきあうか。

まず、第一に
「いばりんぼうは、治らない。」と覚えておくこと。
いばらなきゃいい人なのに。と思っても、
いばらない人になることはないので
そんな期待はしないこと。

いばりんぼうさんたちのいばりんぼうが治るのは、
いばりんぼうさん自身が自分を変えようと気づくこと、
自分の中の劣等感を克服することしか方法がないので
他人がどうこうできる問題ではない。
「いばらないほうがいいよ。」なんて親切のつもりで言ってあげても
イタイところをつかれて逆切れされるのがオチ。

そして、いばりんぼうとは真正面から戦ってはダメ。
さらーっと、聞き流す。へぇぇ、と感心したふりをする。
んまぁ、すごいのねぇ〜と感心した演技をする。
えー、そんなのいばられ損じゃん!と思うかもしれないけれど
いばりんぼうをやりこめるのはムダなエネルギーなので
そのぶんを、もっと自分のしあわせのために役立てた方がよいというもの。

いつも主役でいたい いばりんぼうさんを、うまくのせてあげるのが
オトナというものです。まったくだなぁ〜。

ただ、そうはいっても、ところかまわず炸裂するのがいばりんぼう爆弾なので、
喰らってしまうと、こっちにもダメージが。

そういう時は、そのことでストレスをためないのが一番。
気持ちを切り替えて、ストレスにやられてしまわないようにする。
基本は、
S(SPORTS)
T(TRAVEL)
R(RECREATION)
E(EAT)
S(SLEEP)
S(SMILE)
体を動かして、旅行や趣味を楽しみ、おいしいものを食べ、よく眠り、笑顔でいる。
うんうん。私もっぱら、食べて発散。
ワルクチノートに書いて発散も好き。
書いて発散は、モタ先生もおすすめだそうです。

ま、いばりんぼうさんに、であったら、
そしていばられたら、
ニコニコしてすすす〜と離れておくのが一番、ということです。正解!
低学年向けになにかオチのある読みやすいお話がないかなぁ、
と、探していてウケた。

道で拾った懐中電灯のスイッチを入れると
かいじゅうがでてくる。
「なんでもいうこときいてやるびゃ。」とかでかいことをいう。

子どもは調子に乗ってあれこれ頼むけど
そのたびかいじゅうは冷や汗たらたらかきながら
はいつくばって探し物したり、大きな犬と戦ったり。
魔法のランプの精とは違って、
かいじゅうは、はぁはぁいいながらぎりぎりいっぱい自分でがんばるところがおかしい。

いつも横入りしてくる体の大きいヤなやつを、とっちめてやりたい、と頼むと
まかせとけ、とは言うものの、なんだか頼りない。

一緒に、「みんな並んでるんだから、横入りはするなよ!」とにらみつけて腹の底から大声で、セリフの練習をあんなにしたのに、
さぁ、いまだ頼んだぞかいじゅう!とスイッチを入れたら
「昼間はダメだびょ〜。」と消えてくかいじゅう。

わっはっはっは。
そんなもんだ、そんなもんだ〜。
あてにすんな、かいじゅうだってせいいっぱいなんだから。

もっと頼んなさい、とか、甘えていいよなんて
真に受けたらいけません。(笑)
まずは自分が頑張ってからさ!

おもしろいなぁ。と思ったのに、
マルたんの感想は
「夜になったらかいじゅうが出てくるから怖い〜。」で、
トイレについていかなくてはなりませんでした。とほほ。
児童書です。

読書感想文にいいのないかなぁ〜と探していて目に入りました。
え〜〜?吉本隆明ってどうよ!と思う人もいるだろうけど、
この本の吉本さんは、
男親として、男の子に「しっかり生きろ」といいたいお父さんでいいなぁ!と素直に思いました。
(そういや、娘に「ばなな」ってつけたんだよなぁ。)

新聞を読んで世の中ってもんを大づかみに知って、自分の頭で考えるんだよ、ということや、

個人て、3つあるんだよ。
「社会で役割を果たす自分」と、「取替えのきかない個人としての自分」と、「家族の一員としての自分」。
この3つをごちゃまぜにしないで次元の違う3つのものだとちゃんとわかること。
「そうしないと、個人だけで解決するべきことを、
国家の問題に直接適用して考えてしまったり、
他人の精神的な問題を、自分と同じように考えて首を突っ込んでしまったりという
間違いを犯してしまうことがあるのです。」
まったくだ。

不必要に「個人としての自分」を傷つけないですむし、
他人への要求ばかり高くなってしまうことも防げるし、
自分自身が混乱してしまうこともない。

わかりやすい文体で、
社会とかかわりあいながら自分をどう生きていくか、を、語ってくれてます。

宗教や、犯罪や、戦争や、国家や、人の死まで話しは及び、
だから考えろ。
人間は自分が生きた時代を引き受けていくしかない。
と結んでいます。

自分の目で見て、つかんで、自分の頭で考えろ、という呼びかけで終わるこの本は、
これから自分を見つめて、今の己を越えていこうとするこどもに
素直に読める手引書だ、と思いました。

ギフト

2006年8月9日 読書
ゲド戦記の原作を探していて、原作者の最新刊をみつけた。
引き込まれるファンタジーです。

ル=グウィンは、親子の絆とか、人の心の葛藤とか、
ひとの(とくに思春期の)内面のゆらゆらする気持ちに
テーマを置いて書くファンタジー(ハイ・ファンタジー)を
男親の視線で書いてる作家なのかなぁ、という読後感。
(対して「ハリー・ポッター」が女親の書くファンタジーという感じ。)

代々、親から子へ受け継がれる特殊な能力が「ギフト(たまもの)」。
父から息子へ。母から娘へ。
主人公のオレックは16歳。
高地の一族のオーナー(主)である父は「もどし」のギフトを使う。
結び目を「もどして」ほどく。
命のあるものを、命のない状態に「もどす」。
大地を滅するほどの強いギフトを持つ父と
そのギフト(才能)を受け継ぐものとしての息子。

ギフトは、使うことで自分以外のものに作用して
大きな影響を与えることとなり、
使い方を間違えれば大切なものを失うことにもなる。

ギフトは自分の意思でコントロールできなければ使うことができないので
若いオレックは、ギフトをめぐって自分の在り方と対峙することになる。

自分のギフトをふるって力を示したらギフト(たまものの力)のギフト(贈り物)をさしださなければいけない。
これもカギ。
ギフトは受け継がれる能力であるだけでなく、
他者と関係を結ぶ贈り物でもある。

ギフトを使いこなせる器量って、と、
自分の身に置き換えて考えてみるのもおもしろい。

三作まで予定があるそうです。
ハリーポッターより、楽しみ。

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