じゃあ君が好き

2006年6月28日 読書
日々の落書きを描きとめたよーな絵本。

かわいらしくて、辛らつ。
図書館にサザエさん全集があった。
昭和30年代からのサザエさん。

季節ごとの支度や、仕舞い方
家にいる女たちの仕事っぷり
そうだよ。こういう丁寧な暮らし方をみんなしてたんだよ。

昔の丁寧でつつましい暮らしぶりにもハッとしたけれど、
細やかな親から子への愛とか、
親や、家族への尊敬とか、
人への思いやりとか、
イソノ家の根っこにあるものが4コマからあふれてくるのにも
自分が母親になった今だからいっそう気がつく。

深いぞサザエさん。
これは「国家の品格」と並行で読んだらもっとおもろいかもしれないぞ。
(そうきたか)
宮西達也さんの、ウルトラマンシリーズは絵本で知って、
大好きなシリーズなのだけれども
「育児書コーナー」で見つけたこの本もすてき。

「育児」じゃなくて、「育自」書になってるところが
このおとうさんのポリシー。

絵本からにじむ、おとうさんの想いが、
この本ではわかりやすく説明されていて
「こーゆーおとうさんばっかりなら、少子化なんてありえないよなー。」と
思うわけです。

たとえば、

---

「親の心子知らず

いっしょうけんめいに子どものために
おとうさんはがんばる。
そして、子どもの喜ぶ顔を思って、辛さも苦しさも背負う
おとうさん。でも、子育てはあてがはずれてばかりだ。
いくらこんな子どもに育ってほしいと願っても、
親の思ったとおりに子どもはならないことが多い。
いや、親の思うとおりの子どもになってしまうのは
変なことかもしれない。子どもは弓の矢だ。
親は力いっぱい弓をひいて、はなつだけ。
いい方向に飛んでほしいと願い、ねらいをつけるが、
一度はなったら、あとは、どうにもならない。
見守るしかできない。
矢は自分の力で
飛んでいくしかないのだ。
子どもが親の思うように
ならなくて、
寂しくなる時もある。
でも、こどもは
親が思っている以上に
育ってるのかもしれない。
そう信じておとうさんは
見守るだけ。
それもおとうさんの仕事。」

---

巻末にはおとうさん同士の対談も載っていて
いい親父だなぁ〜てお手本も楽しめます。
いい男は、いい親父になるってこったなぁ〜、と思いました。

いいオカンになるために、いい女にならなくてはな!(笑)
年の離れた兄の影響で、
ものごころついて、はじめて読んだ漫画が手塚治虫と楳図かずおと水木しげるな私ですが、
実家にはまだその頃の鬼太郎(墓場の鬼太郎)初版があったりして、
それを里帰りのたびに読んでいたモックンが、
「おお。おばあちゃんとこの本。」と借りてきました。
おばあちゃんが妖怪みたいなのでその言い方はやめれ。息子よ。

それはおいといて。

この水木先生の妖怪図鑑は、冷えびえと恐ろしいです。

だって。
ご近所が山盛り出てくるんだものー!

「伊勢志摩の度会の四郷村に、自殺者を呼び込む池があって
旅人がここでよく行方不明になった。」
「これは池の魔にとりつかれたのであろう。」
なんて、解説してあって、
水木先生の丁寧な暗〜い美しい絵が描いてある。

イヤー!なんかそのハナシ、「有名な実話として」聞いたかもしんない〜!!
と、現代にまで息づく妖怪話です。
しかも、このへん妖怪多し。やだもう。
チャーリーとチョコレート工場の原作の
「チョコレート工場の秘密」のラストが、腑に落ちなかったわたしですが、
この続編を読んで、「おお!ここにつながってたのなら納得!」
と、すっきりしました。
やっと、これにて、めでたしめでたし、と終われます。

ワンカさんのハチャメチャぶりは、チョコレート工場どころではなく、
映画のようなチャーリーのお話ではなく、
ワンカさんの暴れっぷりを堪能できました。

映画の影響で、
本の中でジョニー・デップの美しいワンカさんが大暴れして、
脳内ビジュアル的にもたいへん満足でした。
混血のプリンス、で、いいじゃないかー。
半純血なんて造語はつまらないなぁ。

最終7巻にむかって、畳み掛ける準備号なので、
ファンタジーのお話としての面白みは、
ストーリーの中に散らばった小さい謎解きとヒントを拾うこと、
という第6巻でした。

ダ・ヴィンチ コードの中でラングドン教授が
ハリーポッターが描いているのも、
シオン修道会が隠しぬいた真実の物語なのだよ、と
さらりと言っちゃうセリフがあるんだけど、
いや、別にそんなことないと思うぞ。
ミーちゃんが手芸に燃えている。
片っ端からぬいぐるみにゴムズボンを作ってはかせてからというもの
何か作りたいミーちゃんなのだ。

小学生の手芸といえばフェルトで作るマスコット、というのが定番だったなぁ〜と思い
図書館のオクサマ手芸本を物色していると
こんな素敵というより不敵な本を見つけました。

フェルト手芸だったりするし
型紙もていねいだし
作り方もお子さまでもなんとかなるレベルなのだけど

デザインが子ども手芸にしてはイケすぎています。

初めてのお子さま手芸の手引き書として
いきなりアラアロはかっ飛ばしすぎるかなぁと思いつつ
ミーにおすすめしてみると
表紙を見るなり
「お。・・・・・ワルモノの本!!」と飛びつきました。
ワルモノて。ワルモノもいるけども。ウサギちゃん!ていわないのか。

さっそく「よだれのたれてるティッシュカバー」を作りたいらしいです。

かわいいけども。
カワイ〜ではないところが ミーのツボらしい。

いかにもミーのお好みの一冊でした。

イケズの構造

2006年5月11日 読書
こういうイケズに私はなりたい。

カワウソくん

2006年5月11日 読書
吉田戦車の「伝染るんです」読んだことあるヒト〜。


じゃ、カワウソくん、て わかるひと〜。






あのね。

いま、鏡で見ると、ちょうど私、こんな感じ。
がふっ(吐血)
.



(図書館待ちを)辛抱できなくて買ってしまいました。

一気でござった。

展開が小気味良く速いペースでたいへんよろしゅうございました。
どのくらいの体感速度かというと、
手塚治虫の物語展開くらいのスピードです。速い。
ブラックジャックの速さと≒。

おもしろい本を読むときに、
その本にグルーブするというか、
ライディングするというか
本の持ってるスピード感に 
するっとノれたときの快感てよいなぁ。
なんてことも感じつつ読了。

読み終わって直後の読後感として
ふつふつと沸いてきたのは
(あー、わたしも薔薇の花だなぁ〜)でした。
ほんとにこのひとは、絵を描くのが好きなひとなんだなぁ。

オトナ的によくない趣味だとわかってるけども
戦争ゴッコ(船も飛行機も戦車も)が大好きなので
頭の中で妄想というか空想というかたくさんのお話を創り上げては
ゲームをしてるのだそうです。
だからテレビゲームなんて全然つまんないし頭の中でやり飽きてることなのでキョーミない、らしいです。

この本は環境問題も少女の自立もなんにもない、ただの趣味の書き散らしだー!と
ご本人がはじめに書いておられます。

大義名分があるでなし、
コむつかしい理屈を語るでなし、
ただ「好きだから」で、やりきっちゃった!
ていうことって、
神髄てものが見えますなぁ・・・・・・。

宮崎駿オジジは現役の男の子だなぁ、と思った次第です。
こういうひとのおくさんはたいへんさ、絶対。(笑)
こっちはへそ曲がりさんも読んでよしw
これも藤原先生。対談です。
対談相手の小川洋子は
今ちょうど上映中の映画「博士の愛した数式」の作家です。

映画、見たくなりました。

祖国とは国語

2006年1月27日 読書
藤原 正彦は数学者です。
ラジオで「国家の品格」という本の紹介をしていて
それを図書館で探したら借り出されていたので
この「祖国とは国語」を借りました。

タイトルからして硬そうでしょ。

いろんなところへの連載をまとめたものなので
藤原コンビニみたいにはなっていますが
前半の新聞連載エッセイ群で
「な、なんやねんな このオッサンは」と砕けます。

世の中でもっとも不快な一瞬は、チョークを手にした教師が誤って爪で黒板を引っかいた時であろう。
小学生の頃、この音で震え上がった私は、以後、教師のチョークが2センチほどの短さになると、生きた心地がしなかった。
私自身が教師になってからは人間(とりわけ自分)への思いやりにあふれた人柄から、
3センチ以下のチョークは決して手にしないよう心がけている。


とかいうあたりから、怪しいぞと思いはじめましたが
読み進むううちに、尋常でない言葉の使い方のうまさとともに
きっとものすごくキュートなオッサンに違いない、と確信しました。

知りませんでしたが
藤原先生、新田次郎と藤原ていのご次男でした。
才能というのはやはり受け継がれ引き継がれてゆくものなのか。
巻末の写真がまたキュート。たまらん。

とはいえ、
文化審議会のメンバーでもある先生は
たいへんな人格者であると思いました。いわゆる日本のカシコです。
教育の未来についてのお考えもそれはそれは確かなものです。
なかほどの国語教育絶対論にはいちいち納得。
個性の尊重の意味を履き違えているゆとり教育にわかりやすくパンチをくらわせておいでです。
小さなことがらをつつくのではなく、今この国に足りないものの本質を解くさまが、まさに数学者。
正しく読んで欲しい本です。へそ曲がりは読んじゃダメw

強く生きる言葉

2006年1月27日 読書
自分

今までの自分なんか蹴トバシてやる
そのつもりで、ちょうどいい。
いちばん 大切なのは、自分自身にうち勝って
自分の生きがいを貫くこと、
これがいちばん美しい。

読み聞かせの会で熱演してきました。(笑)

スズキコージの絵がイケてる、お気に入りの絵本です。

なんの変哲もない、のほほん顔のきゅうりさんですが
きゅうりさんを心配するひとたちから
帽子や手袋やリュック、旗、水がめ、メガネ、エプロン、ほうき、ヒゲ!と譲り受け最後は「あぶないねずみ」をたたき出します。


きゅうりさんは なにをかんがえているのやら。
きゅうりさんのセリフはひとこともなしです。

きゅうりさんは 人々の期待通りの働きをしたのかもしれません。
(裏表紙に勇者として銅像が建ってる)
きゅうりさんは ただお散歩してただけなのに、なりゆきでしかたなかったのかもしれません。

「きゅうりさん、
そっちにいったら あぶないよ
ねずみがでるから」
と口々にいう牛さんや犬さんたちはきゅうりさんに力を与えたのでしょうか。
それともしょわさなくてもいい余計な期待を与えたのでしょうか。

きゅうりさんは
のほほんとした顔で荷物が増えてもにっこにこと歩いていきます。
読んでるこっちが
「もう、ええやんか!」と言いたくなりますが
ごってごてになってものほほん顔で歩いていきます。

ネズミをたたき出したその後きゅうりさんはどうなったのでしょう。
銅像のきゅうりさんは笑っていません。神々しく凛々しいです。

わたしがきゅうりさんだったら
おうちに戻ってご飯食べたなw
そんなきゅうりでいたいよww
前の段取り力もそうだけど、
「〜力」ていうのが齋藤さんのシリーズになっている。

「書くことはスポーツ。原稿用紙は1枚1キロとして
10枚書くには基礎体力をつけることからはじめよう!」
て感じにはじまっていておもしろい。

書くことが苦にならない人、というのはいるものだし、
書くことで頭の中を整理する、というひとも多い。
私も中学生のときノートに何冊もまとまらないことを書き込んで整理していて、
ああ、私の考えるスピードっていうのは、
言葉を喋るスピードよりも
書くスピードなんだなぁ、と実感したのを覚えてる。

喋るのと書くのはまったく違う。
「んもー!アホなんやからぁ♪(にこにこ)」とアホと言っても
悪気なく言ってることが表情や態度からわかって、
(あ、なによコイツ、オレのこと好きなわけ?ウフ)
にはなっても、
「オマエはアホや。」
書いてしまうと「アホ」はそんな細かいニュアンスなしに確定してしまう。

ああー。そうなのよ。
そこ気をつけないとね。

齋藤さんはこのことを
一生許さん!となっても仕方ないのだ、と書いている。

書く力、というのは
ただ長い文章を構築することだけのことではなくて
読み手を思いやれる書き方ができるかどうか、も含めてみんななのだ。

精進、精進。

おもしろい本です。
小学生にもいいと思う。
全文掲載したいぐらい。

父から息子へ語りかけるようなこの本は
一人前の男ってこういうもんだって
大人にも子どもにもわかりやすく心地いいです。
上っ面だけの愛情では言えないことを
親として、というより
人として人の先輩として諭しています。

竹内均先生の訳もいいんだ。これが。

へんないきもの

2005年10月24日 読書
ひとつひとつの「へんないきもの」に
著者の過分な思い入れでへんな解説がつく。

多分この著者、同世代か少し上だ。
ホラ。やっぱり65年生まれ。トホホ。

空の名前

2005年10月24日 読書
絵本のような。
科学のような。

富士山から湧き立つ雲がすてき。
雲を見上げる高さにしか登ったことはない。
見てみたいなぁ。
動かす人やききっかけは
ほんとにその場にぴたりとはまるのねぇ。

大事なのは、
最後の小さなギヤがカチンと1個はまるまで
手入れをさぼらずに待つこと、かなぁ。

1 2 3 4 5

 

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索