ハーちゃんが、折り紙で指輪を作ってくれた。
ごほうび、だそうだ。

お守りもくれた。
願い事が叶うお守りだそうだ。

だから大丈夫!あしたは、言いたいこといえるよ!
っ言われた。


なんでしょう。
この子は神様なのね?

四通り

2012年12月17日 日常 コメント (2)
違う。

3月のライオン

2012年12月16日 読書
泣いた。
ぽちゃカワのアンちゃんは中身の詰まった女の子。

和菓子を巡る人たちのミステリーは穏やかでせつなくて、ふんわりと暖かい。

ハマった。

好きなTシャツは 仏顔×3

アホの国

2012年7月1日 日常
アホの国 ニッポン


子どもや年寄りに
危なっかしい生肉を食べさせないだけのことなのに
とにかく全員禁止にする国


アホの国 ニッポン

捨て方のわからない危ないごみを
子どもへの置き土産にして
またひとつ稼働させる国


アホの国 ニッポン

働けない若者
働けない年寄り
働けない病人
からも税金を巻き上げる仕組みに血眼な国
誰でもが生き生きと働ける仕組みづくりはなにもしないで


アホの国 ニッポン

このままでは50年後には日本の人口は半分になるらしい
あと50年後に今の半分の税金で国が運営できるようにするのが仕事の
政治家や役人が
今年から2%ずつ減っていかない代わりに
税金が2倍に増える国


アホの国で子どもを育てる
アホの国で老いていく

風邪

2012年6月10日 日常 コメント (2)
水曜日あたりからなんとなく喉が痛くなり出して
慌てて葛根湯をのんだが
金曜日に熱が出て 沈

「もう、おかあちゃんは立てませぬ、みなさん、あとはよろしう。」
と寝込んでみたら
マルたん(中2)がごはんを作って
ミーさん(高2)が洗濯機回して
モックン(高3)が風呂洗って
ハーちゃん(5歳)が三時間おきに冷えピタを貼り替えにやってきた

寝込んでも、大丈夫だ。

子どもさんたちの立派さに感謝しながら寝る。




そんな中、ヒゲくんは、北海道へ遊びに行きよりましたので戦力外。
プロ野球なら戦力外通告は解雇なのだがなー



全然おもろない。

わたしは
生い立ちやら生き方やらにいろいろあって、
怒らない人(怒ることをなにやら封じているらしい人)なので
どうやったら怒りという感情を表現できるやろか?と
読んでみたのではあるが

怒ったらあかん
怒るのはアホのすること
気持ち切り替えたら怒らんで済む

ということが、ダラダラと上から目線で説かれていたので
なんかおもてることとちゃうわー(´・_・`)とザンネン。

怒りって、否定したらあかんのとちゃうかなあ。
怒りも自分の中から湧いてくるんやから
そこは自分と勝負せなあかん場面と違うんかなあ
そういうことが、読みたかったから、ザンネン。おもろなかった




ヘン、というのはこの場合、カウンセリングにくるクライアントのこと。
このセンセは賛否両論な方らしい。
対談集なのだけど、あー好き嫌いが分かれそうなセンセやなー、
と思った。

ともあれ
治療しようなんて思ってない
治るのは患者のチカラ
というのは、たいへん納得。
患者の邪魔しないようにするのが仕事なんだそうだ。

エンパワメントていうのは
そういうことだとほんとに思う
何度でも読みたくなる赤毛のアン
6.7.8と借りてきたので一気読み
満腹、満腹。

有川浩のラブロマンス好きの娘たちには
面白く読めると思うのだが
あまりお気に召さないらしい。

そうだなあ。
疾走感は、ないわなあ。

でも、こういうゆったりした流れの物語のほうが
ハマるとぐいぐい引き込まれるんだけどなあ。
汚染されていない土地などない
除染は事実上不可能
汚染されていない食べ物はない
食べるかどうかは覚悟の問題
何ベクレルなら食べても大丈夫なんてヘン
放射能に大丈夫は、ない
汚染ガレキの焼却炉には特殊なフィルターで99.9%放射能が抑えられる
東電が汚染したのだから東電の敷地へ汚染物を返す
福島第一はなんの終息もしていない。
二号機三号機の中には入れもしない
建屋の地下へめり込んで地下水を汚染するウランを早く防ぐ
核燃料はメルトスルーして炉は溶け落ちているので冷温停止なんかできません
廃炉のめどはたっていません
これまでの原子力発電を許してきた大人は汚染食品を引き受ける
出荷停止にする作物は東電の社員食堂と議員会館の議員食堂で食べる

汚染列島で生きていく覚悟を持つ


わかりやすかった。
原発、いらんわ。
はよう、片付けしよう。
子どもに残さないのが年寄りの責任と思う。

だいじにしよう

2012年4月27日 日常

自分に余裕がないと
自分を大事にできなくなる
自分を大事にできなければ
あなたを大事にしているよ、と伝わるつきあいがおろそかになる
大事にしたいひとを大事にするなら
自分を大事にしよう
自分を大事に思ってほしいなら
大事にしたいひとの気持ちとていねいにつきあえる自分になろう

自分に余裕を作ろう
ていねいに暮らすことから
自分を大事にしよう




わたしは、がんばりすぎだ。


もうひとつ。
腹が立ったら、自分の奥にためてはダメ。
迂回もダメ。ごまかしもダメ。
ちゃんと腹の立った先へ戻そう。
自分を大事にしよう。

あちゃー、朝刊一面の記事。

愛知県にがれき処分施設を新設、全額国費で

ですって!
ほらー、いわんこっちゃない。
国の金が、被災地以外に落ちる仕組みになってるやんかー
サクッと食いついてるやんかー
ええのん?これで。
被災地に使わんでええんかいなー

ヒゲくん(夫)に聞いてみた。
こんな、田舎のおばちゃんでも気ぃつくような荒っぽい旨い汁、どうやのん?

「そうや!そういう金の流れには乗っていかんといかん!」

………いや、そうじゃなくて、
被災地に金を落とさんでええんか、という疑問やねんけど…。

よくわからん。

瓦礫のことが、よくわからん。

被災地の瓦礫を他県へ持って来てみんなで燃やしましょう。
という話。

いま生きてる大人がビビらずに後始末をせなあかん。とは思うけど、
ちょっと、待てよ。と、思う。


今、被災地に必要なのは雇用と違うの?

現地に最新の処理設備を作り、
そこで処理するほうが
現地に雇用とお金の流れを生むんじゃないのかな。

なんで、自立支援のコアにせんのかな。

誰が、なにを考えてんのかな。


そこがわからんと、
うちの市で瓦礫を引き受けます、ていう話、
ええよ、っていうてええもんかわからん。

今日の名言

2012年3月2日 日常
朝ごはんに玉子サンドを作っていたら
モックン(高校二年)が
「ごはんなにー」「まだー」

デザートにする伊予柑をむいたり
お湯を注いだ紅茶のポットの面倒見たり
合間に寝坊してる子を起こしにいったりして
茹で卵は出来てるのに潰す作業にまだ入れない。

もうちょっとー
と言おうとしたら
マルさん(中学一年)がキッチンに入って
わたしの横に立ち兄に言い放った。

「待ってるだけじゃダメなんだ!
迎えに行かなきゃダメなんだよ!!」


名言だ。



体罰は必要であるという人が70%の日本。

体罰はしつけではない。
それは暴力である。

なぜ暴力がいけないのか。

1  相手のためと言うのはあとづけの口実。自分の感情を爆発させているだけ。感情のはけ口である。

2  暴力以外の解決方法を選択しなくなる。暴力によるコントロールは即効性がある。

3  暴力は必ずエスカレートする。

4  痛みと恐怖感で相手を支配する。健康な信頼関係ではない。

5 暴力を受けたものだけでなく、見たものもダメージを受ける。

6  事故が起こる。傷ついた心は回復が困難。失われたいのちは取り返しがつかない。


体罰に代わるしつけの方法とは、コミュニケーションである。
暴力をふるう人は、怒りがコントロールできないわけではない。
コントロールはしている。だから日常が、社会生活が送れるのだ。

怒りは、ある特定の人に向けられている。

暴力とは体が傷つくものだけを言わない。心が傷つけられるものももちろん暴力だ。

なぜ暴力をふるうのか。
それは即効性があるからだ。
暴力による痛みや恐れで相手をコントロールできると考えているからだ。

暴力をふるう相手への
優越性と
支配
の関係を維持したいから暴力をふるうのだ。

だから、
相手への優越性がおびやかされたとき、
相手が平等を望んだとき、
相手との関係が維持できないと感じたとき、
怒りのスイッチが入り暴力をふるう。

その怒りは仮面である。

怒りの仮面の下には、過去の傷つけられた体験から獲得された
寂しさ、悲しさ、悔しさ、不安が潜んでいる。

暴力をふるうひとは
自分の怒りの仮面の下にある
ありのままの自分の感情を見つめ
自己肯定を高めることで変われる。

幼児期に培われるはずだった
失われた自己肯定を回復させることは
不可能ではないが
とても困難だ。

振り回されて
疲れている
腹も立っている

自分だけの時間がほしい と うっかりつぶやいたら
うわーーーん!と泣き出しそうになった。

それをまた うっかり ぐぐぐうとかこらえてしまうものだから
もやもやイライラとやりきれなさでいっぱいになってしまった。

こまったもんや。


今日は 自分を大事にする一日にしよう。

壊れたら、困る。


こわれるかも。と早めに気がつけるようになったのも
壊れたら困るから無理しないでおこう、とセーブできるようになったのも
えらいぞ~、自分。
二年ぶりにみんなにプレゼント買った。
メリークリスマス
一年よくがんばりました。
ごほうびもらっていい一年でした。

みなさま メリークリスマス

確認。

2011年12月11日 日常
友だちの娘が家出した。
どうしたらいいのかずっと考えている。

---

言い争った興奮のままに怒りが収まらなくて感情が暴れて
わたしにすがりついてくる彼女の話を聞きながら
はやばやと、ああこれは依存だ、と思った。

---
わたしは解を持っていない。
解なんてないだろう。
解は子どもと親がむきあってぶつかりあっていく中にしかない。

それなのにわたしは彼女につきあって方策を考えている。

---

わたしは彼女にも彼女の娘にも責任を持てない。
わたしは私にしか責任を持てない。
それがわかっているのに
彼女のトラブルのケアに入り込んでいるのは
恐ろしく無責任だ。

---

気持ちが悪かった。
なぜかとても気持ちが悪かった。

わたしが肩代わりのできるようなことじゃないのに
わたしがでしゃばってなんになるのだ、という感覚と、
でも私を頼ってきてるんだから私がなんとかしなきゃ、という気持ちが
どんどん私を責めてきてとても気持ちが悪かった。

気持ちが悪いのは
わたしが自分の気持ちに素直になっていないからだ。

---

わたしが引き受けていい責任じゃない。
これは、わたしのものではない。

なら、なぜ、わたしはここにいる。

---

トラブルを抱えてすがってくる人に頼りにされて
助けてやろうという傲慢な気持ちがあったのじゃないか。
自分ならできるとおもっていたのじゃないか。
頼りにされることがいい気持だったのではないか。
いいひとに思われたかったのじゃないか。

できもしないのに
できるようなつもりになって
解のないトラブルに足を突っ込んで
相談に乗ったりして

そういうのは
いい人ぶっていけすかない。というのだ。

---

自分のできることを見極めて
自分のできることをしよう。

彼女の苦しい気持ちを聞くことはできる。

彼女を励ますこともできる。

彼女をいたわることもできる。

彼女の娘の苦しい気持ちを聞くことができる。

彼女の娘のほっとできる居場所になることができる。


それだけだ。

---

いくら私に解の出せない、責任の持てないことだとしても
目の前に傷んでいる友達と子どもがいたら
自分が傷つく結果になっても
手を出さずにいられない。
それは性分だ。

責任を取るべきでないのだから
目の前で傷ついていても関わりあうな、と今日は言われたのだが

それは正しい、と思いつつ

それはなんと冷え冷えとしていることだろう、と暗澹とした。

---

わたしは
わたしが傷つくことも織り込み済みで
人と関わっていく道を選ぶ。

---

キツイ。

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