宿題

2010年1月17日 日常 コメント (2)
2009年6月19日(金) 毎日新聞夕刊の切り抜き。
「新幸福論」生き方再発見(インタビュー記事) 編集者 小宮山量平さん

赤線が引いてある。引いたのは母だ。

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(編)現代も難しい時代です
(小)労働体系の崩壊ですね。働くということがどういう意味を持つのか、あらゆる職場で労働者が派遣だニートだと、いつでも首にされ、放り出される。就職したからにはそこで一生懸命に根を育てて人間として職場と一緒に成長しようという健全な体制から放り出されてしまう人たちがいる。
年間に3万にもの自殺者を出し、それと並行して、男、女、共通して結婚に逃げ腰となる。本来ならば子どもという形で次の時代を作りだす希望の芽を自分でへし折ってしまっている。
こういう風な状態で、希望とか幸福とかを考えるのは非常に困難だと思います。

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(小)93歳になってみますとね、ありがたいことにだんだん世の中の端末のごたごたは見えなくなるけど、動脈のような太い管が健康な状態かどうかは心に響く形で見えてきて、それが健康なら世の中捨てたもんじゃない、いつかはちゃんと良くなるという気がする。

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(小)むちゃくちゃな労働体系をはね返す思想として今なにが大切か。僕は雇用や社会保障の立派な制度を作り直してくれということではないかと思う。逆に我々の中の出世する思想を根こそぎ取り去る。別の言葉ではニヒリズム。人間が素っ裸になる思想の一番太い動脈はなにかというと、幸徳秋水もそうですが、出発点はアナーキズムだった。今こそ「出世」というものを考えない本当の意味の無政府主義の思想の根源的な姿を見つめる必要があるのではないかと思うんです。

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(小)絶望はまだ早すぎる。幸福論にしても時間をかけるということです。せっかちにならない。


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母の手紙はびんせんに3枚。いきなり言いたいことから始まる。

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 ここまでアナーキーにならなくも良いけれど、竹中元長官の言っていることは、借金など重いものは極力整理して
(追いつめられない先に)身軽になって、
自分と家族が食べるだけをゆとりを持って働きなさい、ということではないのかな。
 貧乏はちっとも怖くないよ。
わたしは芋と切干大根にウマイ菜ばかりで月一度目刺しを食べたくらいだった。 
けれど十七歳で一六三、体重は50kgを超えた。食べ物ではない。 
といって精子が渡したDNAがすべてとも思えない。 不思議すぎる。素晴らしすぎる。
子どもたちがあんたに宿った時のことを思ってみてもそれは言えるよね。
わたしはどうやら宇宙の生命の循環はこんな風になっているんじゃないかと思うしかないよ。
それに乗ってゆけば良いんだよきっと

あたふた働いて僅かばかりの贅沢をして
腐敗臭漂う国に税金を納めるなんてバカバカしいよ
自分たちのためだけに楽しく働こう。
今日点滴を打ちながらテレビを見ていたら仲代達哉が色紙に
「人に優しく 自分に優しく ニヤニヤ笑って生きてゆきたい」と書いてニヤニヤ笑っていた。
がんばらなくていいんだよ。つつましく暮らしたら充分だ。

 私はそれでも両親に守られ甘やかされて人生前半はバカなお嬢様だった。
後悔しても七十年取り返しがつかない。お嬢様に人間としての完成なんかないように思う。
私は後半の人生にかけたけれど、今もややバカだ。

あんたは違うようだけれど、それはまたそれで落とし穴もあることだろう。
人に優しく自分にも優しく ニヤニヤ笑って生きてゆくのがいいかもね
クソマジメはいいことない 喘息になるよ

物や金に振り回される時代が終わりに近付いているのは先進国の一部で、
中近東なんかはこれからまだ荒れるかも 
私は三菱兵器で学徒工やっててロクに勉強してないから大変だ。
あんたは私よりもっとよく理解できるでしょう
目配りして、かしこく進んでください。

   取り越し苦労のお母ちゃんより

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去年の七月に届いた手紙。
これが宿題。

ジャージ

2010年1月16日 日常
ハルさんの保育園の制服の採寸とお道具購入に
直近のOBのマルさんと3人ででかけてみた。

制服は一応一式そろっている。
使いまわされてきたものだから
傷みのひどいものだけ買い換えよう、というつもりで来たのに

むう。
体操服、一新されましたか。
FILAですか。そうですか。かっこいいジャージですね。
・・スタジャン一枚 ごっ、ごせんはっぴゃくえん!!
幼児なのにオトナ値段。

体操服だけは、汚れも痛みもひどいので買わねばいかんという覚悟ではいましたが
中学校のジャージよりも高いのにショックを受ける。
先生が「古いので来てくれてもいいのよ。」と顔色をうかがってくれます。

ただ、これが。
ハルさん、似合う~~~♪(バカ親)
うわあかわいい。うわあかっこいい。うわあ。うわあ。



夏冬一式買いました。





実家を処分するには相続をしなければならない。
相続をするためには母の「生まれた時から亡くなるまでの」ひとつながりになった戸籍が必要だ。

大阪の実家をスタートしてさかのぼる。
従前戸籍のある本籍地の役所に電話をかけて事情を説明して郵便で小為替を送る繰り返し。
大阪→岡山→大阪→長崎→名古屋→東京 で、ゴール。

最初に法務局に相続の相談に行ったら
「行政書士に頼んだらどうですか。」と言われたが
めんどくさいだけで、特に難しい作業でもないので
自分でやることにした。

こういう行政への提出書類だの手続きだのに、
ちょっとした法律知識を持った代書屋さんが重宝するんだ、と実感する。
たしかに手続きにいろんな横穴があって最短距離がわかりづらい。


なるほどなぁ。行政書士か。
勉強してみるかな。

ハルの保育園が突然、市の認可保育園になることが決まってしまい、
23年度からは就労届けがないと利用ができないはめになってしまった。

母の就労あるなしにかかわらず、就学前保育・教育の場としての保育園が必要なのに
とうとう手近に専業主婦のおかあさんを応援してくれる園がなくなってしまう。
やな感じ。
これについてはちゃんと市と園にまっとうに働きかけちゃうつもりでいるけれども
それはそれとして「母からの宿題」の時間がきたようにも思う。

母は個人事業主だった。
廃業届けを出しに行って、「え。こんな紙一枚で開業OKなのか。」と目からうろこだった。

できるなぁ。
こりゃあ、誰でもできるなぁ開業。と納得したのだ。
実際、兄は、母の廃業届を書いたあと、同じテーブルで自分の開業届けを書いていた。
事業の内容には「WEBデザイン」なんて書いていた。

んー。いいのかそれで。
税収の道さえ通ればそれでいいのか税務署的には。なんだかなぁ。


しかし、いろんな道が示されたようにも思う。
行政書士の資格をとって個人事業主になって、保育園に就労届けを出す。
ってビジョンを描いてみました。
できるとこまでやってみよう。 
母の友だちからお悔やみの電話をちょうだいした。
弔問担当は長男の兄がわけがわからんというので、妹のわたしが引き受けている。

11月の歌会でおめにかかったときはおかわりなくお元気でしたのに、とおっしゃる。

アララギのみなさんは、歌づくりの幹が「現実を見据える」にあるので、
そういう生き方をされてる方が多い。
ひねらず、抑揚をつけず、素直に受け止めて、
思ったままをごまかさずに表現してこそだ、と心がけておられるわけだ。
(まあ、だからこそ、世の中を斜めに見がちな人ばっかりだともいえるわけですが:笑)

なので、屈託なく
「ありがとう、といって、すーっと眠って、息がなかったそうです。
母らしい見事な最後だと思いました。」
と伝えると
「ほんと!それはほんとに理想の死にかただわ!さすがだわ。」
と返ってきた。

そのあと、母と同じように短歌会の人間関係の愚痴を聞いたり(笑)
それを母に言うようになぐさめて励ましてみたり。(笑)

どんなに年が離れていても
通じ合えるひとを遺していってくれたなぁ。おかあちゃん。

葦に流水模様

2010年1月12日 日常
小正月が終わった。
寒中見舞いを発送しよう。
郵便局に切手を買いにゆく。
弔事用の切手を125枚買った。

幼児のためのプレイゾーンが充実していて
用事がすんでも帰れなくなってる親子連れが多いこの郵便局は、なにかと親切だ。
大量の切手の上手な貼り方もレクチャーしてくれた。

ハルさんがまったりとプレイゾーンで遊んでいる間に
ソファーセットを借りて切手貼り。

弔事用の胡蝶蘭のハガキを買おうとしたら、インクジェット紙がない、というから
無地の私製ハガキを買ったんだけども
どうせ白黒印刷ならインクジェット紙でなくても充分なんだよね。きっと。

そんなこと考えながら切手を貼り続けていると
年賀ハガキを束で抱えたおじさんが
「これを、喪中ハガキにかえてほしい。」とやってきた。
言葉少なく途方に暮れた感じのおじさんに
局員さんが、弔事用のハガキはこれですが、ああやって(→わたし)切手を貼る方法もあります。
全部弔事用に換えずに、普通ハガキにしておいたほうが便利かもしれませんよ。
今からだと寒中見舞いになりますよ。こんな文例を参考になさってくださいね。と
細かくレクチャー。

おじさんは500枚の年賀ハガキを書き損じとして
500枚の弔事用ハガキに換えてもらって帰ってゆきました。
あんたもかー。て顔をしてわたしを見るので
わたしもですー。てほほえんで見送りました。

ね。おじさん。わかります。呆然としちゃいますよね。
年賀状、用意してあったのに。
でもこういう事務作業を間をおかずにできるのは
痛みが紛れてありがたいですよ。


さて、わたしも残りヒゲくん分の250枚は、胡蝶蘭ハガキ買うことにしようかな。
彼の住所録が、整理できてれば、の話だが。

写真を作る

2010年1月11日 日常
おにいちゃんは早々とお線香を絶やしてしまったらしい。もう。
だって、出かけるときに火ぃついてたらあぶないやんけ。と言う。
そりゃそうかもしれないけども。

せめて毎日お水だけはあげたいよ。

大事な人を偲ぶのに
お仏壇やお位牌もない。
それどころか写真もない。

せめて写真一枚あれば、よりどころになるのに。

せめて写真を一枚ください~、と兄に頼んでみた。
なんだか昼ドラの愛人ぽいです。愛人てたいへんね。


ところが、ひとりで写ってる写真がない。
誰かと必ずいっしょ。
人気者だなあ。

WEBに上げてもらった写真をダウンロードして
よさ気な角度の写真をトリミング。
やさしい色合いの背景もつけて、いい按配にお写真ができました。



リビングに写真を飾って、
夏にもらって帰ってきた九谷焼きのお煎茶茶碗にお水を注いであげたら、
おはよう、を言う場所ができました。



泣きだす

2010年1月10日 日常
辛抱するクセが邪魔をして
ときどきゆるんで泣き出しそうになるのを
こらえてしまいながら暮らしていました。
胸骨が痛い。
痛い痛い。いたたた。どうしたらこんなとき。


泣いたらよい。
と ぼんやりわかっているのに
なにか、どこかに鍵がかかっていて泣き出しそうになるたびに
がちん、と涙にロックがかかる。

泣くには
どうしたらよいの。

などと 少女でもあるまいに こんなことがわからない。


甘えたらよいのだよ。
と、灯りが見えた。


ああそうか。明快。
母に甘えればよいのだ。
おかあちゃんに。
子どものときに痛いようと泣きついたように。

悔むことがいっぱいあるよ。
聞きたいこともいっぱいあるよ。
おしゃべりしたいよ。
見せたいことがいっぱいあるよ。
見ててほしいこともいっぱいあるよ。
できなくて、痛いよう。おかあちゃん。


やっと 鍵が外れて 泣きだせました。

図書館

2010年1月9日 日常
年末に勉強しようと思って借りてきていたエクセルとフォトショップとパワーポイントの教本を返却。

ちょっと読み切れなかったけども
おにいちゃんからデータを送ってもらったときに
「JPEGで送って。フォトショで加工する」とか
「住所エクセルで送って。あて名印刷するから。」とか
の際にちょい見するのに、大変役立ちました。

これも偶然なのかしら。
鍛えられるねぇ。



ふだん、児童書まがいか、タレント本のよーな、
ゆるーい本ばっかり選ぶミーちゃんが
心理学や宗教の書架の前にいて
「へこんだ時のナンヤラ」とか
「やる気アップのナンヤラ」とか
「心が軽くなるナンヤラ」とか
「運気が上がるおまじないのナンヤラ」」とかを大量に借りていました。

帰ってきたら
その本を見ながら
「邪気を払うおまじない~」と言いながら
わたしに塩をまいてくれました。


・・・ありがたいやら、めいわくやら。いい子だとは思うんだけど。

寒中見舞い

2010年1月8日 日常
母のおともだちを中心に寒中見舞いでお知らせをおくらねば。

年賀状なんてなくてもいい派の人に ぜひ、お知らせしたい。
「亡くなった時に、どんなに年賀状が遺された者に重宝するかを考えて、今からでもいいから出しておくことだ!」

住所録があっても、
最近のお付き合い状況がどうだったか、
住所が変更していないか、
喪中ハガキが当の本人からきてたりしてないか、
こんなによくわかるデータベースはほかにない。

重要。年賀状、重要。

とりあえず昨年の年賀状と喪中ハガキをリストアップ。
さらに短歌会の名簿に印のある人をリストアップ。
住所録は、ちゃんと
「短歌会A」「短歌会S」「野鳥の会」「歩こう会」「同級生」と見出しをつけて分類してくれてあったので
照合がしやすかった。

重要。分類ごとの住所録。五十音順など、意味がないです。

ざっとリストアップして約60人。
プリントアウトして
この方と、よく遊びに行ってたなぁ。
この方は、歌ともだち。
この方は、野鳥の会の先生。
とわたしのわかる方にはお礼をひと言書き添えた。


すげいな。おかあちゃん。
わたしの年賀状より多いよー。

直筆位牌

2010年1月7日 日常
戒名と一緒にいただいた先生のお手紙に
「今は、写真から起こしてそのままお位牌を作るということもできるそうです。」
と書いてあった。

先生の直筆をそのまま位牌に彫る、ということかな。

位牌の注文なんて人生初だ。
どこで買えばいいのやら
相場がいくらなのやらサッパリだ。

こんなときに頼りになるのがヒゲくん母、おかあさまだ。
「おかあさん、お名前いただいたけど、お位牌どうしたらいいかわからへん。」
と相談して、いっしょに商店街の仏壇屋に行くことにした。

店主はおばあさん。
50がらみの息子兄弟がふたり、ばあさんの脇を固める。

ガラスケースの中から次々と塗りの位牌を出してきて並べるおばあさん。
値札には黒い文字で書かれた定価と、赤い文字で書かれた特価が上下に書いてある。
どの位牌も全部40%オフ以上の特価ですが、そういうもんなの?位牌って。

56,000円のと36,500円のと19,500円のと19,000円のを並べたところで
「どれにする?」とおばあさん。

わ。わからん。なにがどうなのか。
おかあさあ~ん、どれがなに?
「待って、メガネがないとなんにも見えん」
早くメガネかけて~~

メガネをかけて位牌をひとつひとつ手にとって裏表じっくり観察したおかあさん、
「みんなたいしてかわれへんな。これ、なにがちがうの。」とおばあさんとやりあってくれました。

金キラが多いか少ないか、彫り物がちょっと違うか程度のちがいか、と見極めたおかあさん、
「19,500円で、ええんとちゃう。」と無難なところに着地してくれました。ありがとう。

で、これにですね、直筆で彫っていただきたいんですけども。とお願いしたら
「いやー、いまはみんなコンピューターで彫るから、そんなんできやん。」とおばあさん。

コンピューターが彫るわけないやろーwとか
コンピューターで処理するからこそ転写が可能と違うんか~いwwとか
つっこみたい。

つっこみたいがつっこめないシチュエーションが商店街の仏壇屋。

「ちゃんとやっときます。」に、まかせるしかない。
おばあさんが文字数を数えて「一文字80円!」と叫ぶと
隣に控えた息子Aが文字数を数え始め、
奥に控えた息子Bが戒名のコピーを取りに行った。

とりあえず頼んで帰ってきた。

が、おかあさんもわたしも、なあんとなく腑に落ちない注文だったので
ほかも当たることにしてみた。


翌日、あっさり
「直筆彫りのお位牌、ご注文承ります」というところが見つかって
そっちにしました。


位牌の形にも意味があると教えてもらって、
「たくさんの人に慕われた人でした」の意味のお位牌にしました。

あぶなかった。
もうちょっとで
「春の日のようにほのぼのとした人生でした」のお位牌にするとこやった。
そんなわけないやん。な。おかあちゃん。
母の戒名をお願いした先生からお手紙が届いていた。
急ぎません、とお伝えしたのに1月2日に出していただいてある。
先生、せっかくのお正月を暗い気持ちでお迎えになったのではなかろうかと痛む。

達筆でかかれた、母の名前は
「明るくこだわりのない方でしたから」と明浄院
「アララギのアラの音をとって」安楽
こんなご縁は、母の徳だなぁ、と思っていたけれど
戒名にも徳の字が入った。

やっと、名前がついた。

先生に電話でお礼を申し上げる。
しっかりお礼を、と思うのに
すてきな名前をつけていただいたご縁のありがたさに
やっとこれで一区切りがついたと思う安堵に
次々と感情がこみあげてきてしまって声が詰まる。

情けないわたしを電話の向こう側で
待っていてくださる先生。
ゆったりと間をおいてかけてくださる言葉があたたかい。
電話を終えてから自然と合掌。
まことに徳の高いお坊さんて、すごいなぁ。

おいてかえる

2010年1月5日 日常
資源ごみの日だ。
役所が開く日だ。

ゴミを仕分けて捨てた。
このあともおにいちゃんが一人で仕分けしやすいように
ゴミ置き場も整えた。

従前戸籍のある市役所に電話をかけて
戸籍の取り寄せの手続きを確認する。
郵便小為替を用意する。

法務局に行って
権利書と用意できたとこまでの戸籍を見せてこのあとの相続の相談をする。

昼過ぎに、だいたい、作業が終わった。



「このあとは、なにするの。」とヒゲくん。
きのうが仕事始めだったはずのヒゲくん。
奥さんが大変なんだからいいよ、喪中で神宮にお参りできないんだからいいよと
帰らなくてもよいことになって、今日は手持無沙汰です。


わたしはおかたづけをしたり、お花を生けかえたり、本棚の整理をしたり
したいことがたくさんあるけれど。

「ボクだけ帰ってもいいけど、することないなら、もう帰ろうか?」
「することなにもないのに、おってもしゃあないやん。」
「もう今日帰ってもええのとちゃうの。」




作業がないから いなくていい
っていうことじゃないんじゃないかなぁ。

電話やメールで出来る作業だから いなくていい
っていうことじゃないんじゃないかなぁ。


「子どもらに勉強させなあかんのとちゃうの。」
「もう、今から帰ろう。」





泣き出しそうになるたびに
がまんしてしまうくせがついています。

なんて言ったらわかってもらえるの。

にちじょう のことを考えたら
帰りたくない とは言えませんでした。


こころをおいてきたらこうなるのか
帰り道は眠っていて気がついたら雪でした。

権利書発見

2010年1月4日 日常
家の大掃除をする。
ソファーを動かし、絨毯を敷き直し、床の間を整える。
母が寝室と書斎にしていた部屋もしっかり掃除機をかける。
資源ごみに出せるようまとめられるものを次々と仕分けする。

作業場を片づけていたら
トルソーに作りかけの春のコートがかかっている。
あとはボタンホールとボタンだけだ。
軽い生地。
あったかくなったらこれを着て金剛山に行くつもりだったんだろうな。

レースを縁どりにしたチュニックも作業台に残っていた。
流行をはずさないねぇ。

服の型紙は たぶん 古紙の資源ごみに出すんだろうけれど
とても出せない。

帽子の台がたくさん整頓されて並べてある。
母は帽子を作って売っていたこともあった。
ベレーやキャスケットの台が一番手前においてある。
何十個も帽子が出てきたけれど
買った帽子はわたしがあげた麦わら帽子だけだった。


土地の権利所が見つからないーと言うので
ヒゲ君と兄に次々と小引き出しを渡して中身の点検をまかせる。
古い古い書類がどんどん出てくる。
めずらしいコインやめずらしい勲章なんかも箱に入ったまま出てくる。

男の子ていうのはああいう宝探しみたいなことをしてるとおとなしいのね。

土地の権利書は、和紙に書かれた古いのが
小引き出しの底紙の下から出てきた。

「いやあ、よかったよかった。さあ、じゃあ、もう飲んでええなぁ。」
とおっさん二人は4時過ぎから飲み始めたので
八宝菜と餃子を作ってあてがっておいて
母子でお買い物に出かけた。

なんだかくたくた。





いきなり弔問

2010年1月3日 日常
実家に着いたとたん、幼馴染くんがお線香をあげに現れる。
掃除まだやねんあとで来て、といいたいところを
ま、あんたならかめへんわ、と上がってもらったら
幼馴染くんのおかんもやってきた。しまった。

自宅でコロリと旅立った母の最後を根掘り葉掘り聞こうとなさる。
彼女はご近所有数のスピーカー夫人なので、ここでぬかってはならじと、
おにいちゃんがとてもがんばってくれたのよ
最後にありがとうって言って眠るように亡くなったのよ、と
いいことだけをやわらかーくお伝えしておかえり願う。

幼馴染くんはたまたま久しぶりに里帰りしてきたら
荷物置くなりちょっと行って様子見てこいと露払いをさせられたらしい。
・・・・あんたとこのおかあさんも、あいかわらずやねぇ。
「そやからオレ、学校から帰ったらうち帰らんとここ来てたやないか。」
そやったなぁ。ランドセルしょってたなぁ。あんた。

お茶も出さずにお帰ししてしまった。

弔問、て、迎える側の準備がいるものなのだと、これでわかった。
これも準備リストに入れておかねば。
お悔やみ関係の引き出し、お参りされる側としてはからっぽに近い。

それにしてもほんとうに大阪の友だちには助けられた。
生命保険会社に勤める後輩からは
「死亡届を提出する前に銀行預金を全部引き出せ」とメールが来たり
市役所勤めの先輩からは
「年金手帳がなくても滅失届でOKだ。」と細かい手続きの指導メールが来たり
よってたかって支えてくれたおかげでがんばれた。
おっさんは こころやさしい。


「おとしだま」をおばあちゃんからもらったハルさん。
「おかね」だから、「おかいもの」ができると、踏んだ。

貯金箱にいれておこうね、と預かろうとしたら
「そんなの!ハーちゃんが、かなしくなっちゃう!!」と猛抗議。

ではどうするか。
んー。お財布にいれますか?このカエルちゃんのおさいふ、あげましょうか?
「うん!!」

カエルのお財布をパンダのリュックに入れ、

「では、ハーちゃんは、いってきまっしゅ!」とどこかへゆこうとなさる。

近所のドラッグストアにモックン(兄)のコーラを買いにゆくのだそうだ。

母「頼んだの?」
モ「頼んでない。」
ハ「でも!のどが乾いてる!」
母「お茶でいいと思う。」
ハ「レモンティーも買う!」
母「それならうちで淹れたほうがおいしい。」
ハ「だって!ハーちゃんはおかいものにゆく!」

・・・・・・・・。

母「ハーちゃん、免許持ってないからひとりでお買いものできないよ。」
ハ「めんきょ?」
モ「そーだよ。ひとりでお買いものするのには免許がいるんだよ。ハーちゃんまだ持ってないでしょ。」
ハ「うん。」
モ「だから、だれか免許もってる人と一緒にいかなきゃねー。ミー、いっしょに行って来いよ。」
ハ「ハーちゃん、ひとりで!」
ミ「だから、ハーちゃん、免許ないでしょう?持ってる?」
ハ「・・・もってましゅ。」
ウソーwww見せてみーwwwwwwと全員でツッコむと、
ハ「・・・なかた。」と残念そうに不携帯を告白された。

結局、ミーちゃんがついてゆくことになり、
ハーちゃんはひとりでかごを持って店内を回り、
1.5リットルのコーラを買おうとして
「それは重いよ。」とアドバイスを受け500mlに変更してかごに入れ、
おう、と気がついて、自分用になっちゃんを1本追加し、
同伴のお礼にミーちゃんにハイチュウを選んだ。

カエルのお財布からこれで買うんだよ、って入れてもらった500円玉を出し、
パンダのリュックからエコバックを出して商品を入れてもらい、
「ぬーーぅおぅ~~~~!おかあちゃぁあああん!かってきたーーーー!」
と、うなりを上げて走って帰ってきた。



リアル「よつばと!」だ。スゲーおもしろい。スゲー和む。


ハルはやっぱり神シャマだとおもう。

おでん効果

2010年1月1日 日常
人体の不思議。
味覚がビミョーにヘンです。味の加減に自信が持てない。
なので、ここはおでんだー!と、31日からおでんを大量に作りました。
おでんはいい。なぁんにもしなくていい。

人体の不思議。
生理がとびました。どういう仕組みか月末の貧血ウィークが免除されました。
へたってる場合じゃないので助かる。
よっぽどしんどいってことかねこれは。

とにかく「横たわる」か。
と、横たわりの仙人をやっていたら、
初日の出クルージングから帰ってきたヒゲくんが
「あれ?しんどいの?大丈夫?」とかいうので
これは良い教育の機会だ、と思い

「あのね。大 丈 夫 じ ゃ な い ん で す よ 。」
と、教えておきました。

見りゃわかるだろう、というようなことがわからないという人が時々いますが
たまたまそれがオットだった場合、
ハッキリ言ってさしあげる、というとこからつきあいを始めねばなりません。面倒です。
わからない、だけで、悪気がないので「もう撃つぞコラ。」というわけにもいきません。


あ、そうか。大丈夫じゃないんだ。とわかったようで、
「またおでんー」と言わなくなりました。エライエライ。



ヒゲくんご実家から、年賀においでよと言われたので孫の顔を見せに行くと
見なくたってわかる、というタイプのお義母さんがヒゲくん(実の二男)をじわじわとイビッてました。
さすが、おかあさん、エクセレントです。

効果があったのか、
大阪までボクが運転する。
ETCを買いに行こう。
と言いだしました。
おお。やさしさ発動か。やればできるこ。

「どうしても環状線沿いの三田屋(焼き肉屋)に行きたいし。」

んー、おでんに飽きたのね。
やさしさ値、なかなか基準値を超えないですなぁ。

モックンが涅槃像のようにべろーんと寝そべって 一言。


「横たわりの仙人。」


なにそれ。

モ「いやー、おかあちゃんが、【いたわり】について話してたやんか。
 ボクあれ聞いて、
 いたわりの精神、いたわりのせいしん、・・・・・横たわりの仙人て、浮かんでさぁ。」





「横たわりの仙人」が
今だ、折れそうだから母をいたわれ!という場合のパスワードになりました。

はがき

2009年12月31日 日常
見つけておいた母の色紙。
母の趣味の水墨画に歌が書いてあって、
たぶんこれは野鳥の会の発表会に出品したもの。

おにいちゃんにスキャナで読み込んでもらって
JPEGにして送ってもらった。

寒中見舞いはがきを
母の色紙で作りました。

毎年50枚近くを手書きしていた
母の水墨画の年賀はがきを楽しみにしてくれていた方たちに
最後まで母らしくさようならが言えるなぁ。
すごいよ。おかあちゃん。

わたしあての年賀状も
すてきな寒中見舞いもれなく返信です。

いたわる

2009年12月30日 日常
おおかた役所が閉まるまでにできることはすませた。
あとは新年になって役所が開いてからです。

てことで、いったん帰るよ。
子どもたちからSOSメールが頻繁になってきたし。
おにいちゃん、飲みすぎるなよー、と念を押して帰る。

うちに着いたらそこは「こどものくに」でした。

パナシ!パナシ!パナシ!
うおう!パナシであふれる我が家!

・・・・・・・・・・あしたから、がんばる。

オトナは?ここにはオトナがいたはず。
オトナのヒトはどこ?

「忘年会で今夜は帰ってこないってー。」








状 況 が 把 握 で き ま せ ん







身内を亡くしたおくさんがぼろぼろですが?なにか?


んー、これは、「いたわる」ということを
わたしが子どもたちに教えねばならないね。
そうか、ここはわたしの仕事だったか。カーーーーーッ。

ということで、
子どものみなさんに、
【いたわる】ということについて講義をしました。

きのう、いたわる見本をみたところです。
実習のあとだから明確です。


あのね、おかあちゃんはね、元気そうに見えるかもしれないけど、
ものすごく今 ぽきん、て折れそうなの。
これはね、このあときっとあなたたち、そういう折れちゃいそうな人に出会うことがあると思うから
大事なことだと思って聞いてね。

折れて立ち上がれなくなりそうな人がいるときにね、
できることはね、「いたわる」ってことなの。

いたわるって、いわれてもなにしていいかわからないかもしれないけど、
とってもかんたんでね、3つだけなの。

ひとつめはね、「余計なことはしない。」
ふたつめはね、「大事にする。」
みっつめはね、「そばにいる。」

これだけなの。

だからね、今日からこれをこころがけるよーに!
強制的にワタシをいたわるよーに!わかったかーーーーーっ



教育、教育。







教育のゆきとどかなかったヒゲくんはお泊まり忘年会の翌日、
「だって、割引券が今日まで!」と映画を見にゆきました。

あきらめるのも、愛か。
刺される前に気づけばいいとおもうみたいな。



いたわられる

2009年12月29日 日常
飯でも食おうと、正月にいつも会う友だちが誘ってくれた。

そんな気分じゃないのかどうなのか
ふらふらと遊びに行ってもよいものなのかどうなのか
決めかねる気もするけれど
でもお風呂に入りたいので都心まで出た。
4日もおふろに入ってない。被災地か。

化粧品も忘れたのですっぴんで友に会う。

食べられてないんだろう、ということを知っていた。
寝られてないんだろう、ということを知っていた。
ものすごくがんばったんだろう、ということを知っていた。
溜めて飲み込んだことを吐き出すとこがほしいんだろう、ということを知っていた。
ちゃんと泣けてないんだろう、ということを知っていた。

ひとって、あったかいな。

わかってくれるひとがいて、心配してくれる人がいて、
いたわられるって、こういうことなんだ、ってわかりました。

うえーんて子どもみたいな泣き方してかっこ悪かった。

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