法務局にそろえた書類を持ってゆく。

申請の前に「相談」というところへ寄って
必要なものが全部間違いなく揃っているかを確認してもらう。

申請書。
相続関係図。
被相続人の生まれた時からの戸籍。
権利書。
相続人の住民票と戸籍謄本と印鑑証明。

束だ。

無事、チェックはパス。
申請窓口で申請してきました。
登録がすんだら登記が書きかえられた報告が来て、
相続は終了。


---

相続を専門の書士さんに頼まずに自分たちでやってみて
いちばん、ああよかったなぁ、と思えたのは、
父と母の生きた歴史を丹念に追えたこと。
戸籍から読み取れるものはたくさんあるんだなぁ。

母がわたしに戦争の体験記を遺してくれたのも大きかった。
7通にもなった戸籍(除籍)謄本が母の波乱の人生を縁どる資料になっていました。

相続の手続きは子が親の生き方を振り返る機会なのだとわかりました。

---

・・・・・ただ。
気になったのが。
父の父。わたしのおじいさんが、後妻さんをもらってるのをはじめて知った。
ていうか、その後妻さん、見たことない・・。
そんな人の話、誰からも聞いてない・・・。
しかもその後妻さん、いまだ除籍されてない。
・・・明治27年(※1894年:日清戦争開戦)生まれなんだけど。

見なかった。うん。見なかった見なかった。


同人

2010年2月11日 日常
弔問にこられた短歌会のお仲間が本棚から本をたくさん持って帰った。
この方たちの言う
貴重な本、というのは
自分たちの同人誌なのだ、と知る。

ふうん。
500部くらいしか刷らない本なので
一度失ったら二度と手に入らないのだそうです。
立派な装丁の個人の歌集。
ほとんどが自費出版。

弔問に来てくださったのは
母のとても親しい友人がひとりと
大阪の短歌会の選者の先生3人。
選者の先生方は
「あら、この人の歌はもひとつなのよ。」
「まぁ、この本は初心者にならいいと思うけれど。」
「あ、あったあった!わたしの本、もうどこにもないのよ。」
と40~50冊を箱に詰めてゆかれる。

なにがどう、いい本でどういうポジションの本だなんてこと
同人にしかわからんよなぁ・・・・・。
来てもらって選んでもらってよかったと、思おう。
ごそ、ごそっと歯の抜けたようになった母の本棚を見るのはとってもさびしかったけど。

いっしょに山歩き、街歩きを楽しんだマサコさんは
「わたしはな、声が聞きたいねん。」といって、
母が吹き込んだ短歌の朗読テープを母の作った袋に詰めて持って帰った。
「写真ない?写真がほしいねん。」というので
作ってきましたよ~と、母の写真をあげたら
「いややわ~。いたはらへんなんて。写真でしか会えへんのいやや~。」と泣きだした。

ええ友だちがおってくれて、よかったねぇ。おかあちゃん。

そばにいたはるよ。
春になったらいっしょに金剛山いきましょね。
と、お誘いしておきました。

友チョコ

2010年2月10日 日常
ハルちゃんがお姉ちゃんのまねをして友チョコを作りました。
「うふん!おともだちにあげるのー!」

おともだち。
ハルのおともだちって誰だ。

子育ての悩みがなんにもないこなれた4児の母ですが
ひとつだけ、「ハルに同年代のお友達がいない」のが悩みです。
うまーく母子ともに波長の合う人と出会えなくて。

週に一度のスイミング。月に2度のリズム体操サークル。
これでせいいっぱいの母にこまめさが足りないかなあ、と思ったり
いやーもーママ友はいらないわーと腰が重かったり
おもに母のせいですが。

上の子どもたちのときには
近所にやかましいほど同年代の子供がいて
常にうちが集会所だったので子どもも親もいっしょくたに家でごはん食べてたりしたのですが
マルさんあたりから同年代がガクッと減り
そういうおつきあいもだんだん遠のきました。

そんな3歳児におうちに遊びに行ったり来たりするような幼児のお友達はいないはず。
くるのは小学生だったり中学生だったり大人だったりのはず。(これはほぼ毎日出入りがある)

誰のことか。おともだち。

「あのねー、はなちゃんでしょ、ふうちゃんでしょー、しょうごくんでしょー、
みくちゃんでしょー、たいちゃんでしょー、はるくんでしょー、それからねぇ、ゆきちゃん。」

う。それって、スイミングの同じクラスのみなさん+先生。
うへえ!あなたクラス全員の名前ちゃんと覚えてるのー!
ぼんやり3兄姉にはなかったことです。

盲点だった。そうか。そこに同年代おともだち認定がかたまってるのか。


姉たちのまねをして型から外したチョコにアラザンでデコ。
姉のラッピングをまねて袋に入れ、
「今日はチョコをあげる日ー」と歌いながら
スイミングに持ってゆきました。

水着に着替えてからおともだちを見つけては
「はい!ふーちゃん、これちょこ!」とひとつひとつ手渡していました。

3歳にして水着でチョコを配る女。

ありえん。大物すぎる。


母は後ろから「お姉ちゃんのまねで友チョコ配りたいの~。
もらってやってくれる?チョコがだめだったらごめんね。」
とフォローに回りましたが
どの親も「うわあうちの子、初友チョコ!」と喜んでくれました。
・・そりゃそうか。ないよな。3歳児から3歳児に友チョコは。


お友だちがいない、なんて 母の思いすごしでした。
そうか。ともだちはじぶんでみつけてくるもんだよな。そういえば。

チョコをもらって、きょとんとするお友だちに
念を押さねばと思ったのか、
「おいしいよ♪」とポーズまでつけて有無を言わせぬ友チョコでした。

ハルさん、すげい。

オバカさんだ

2010年2月10日 日常
モックン、私立高校合格しました。


490人の募集に2450人の受験です。
数学でオオゴケしたー。もしかしたら、落ちるかもと
と珍しく本人ドキドキしてたようです。

届いた合格通知には

合格(選抜)と書かれています。

併願入試の場合は得点によってクラス分けされるそうで、
モックンはBクラスに合格しました。
まぁ、よかったね。
毎日7時間目+補習授業まである特進じゃないほうがいいと思ってたし、
スポーツ特待生とその他大勢のCクラスもキツイと思ってたし、
楽しく高校生活のおくれるとこに収まって。

と、母子でのんきに喜んでいましたが。

合格得点が明記されていました。
国語97点。
社会87点。
理科93点。
英語81点。


数学14点。

ええええええええええええっっ!!!!

お。おバカ。なにやったのこれは。


「超難問の大問にひきつってパニックになり
5たす3てなんだっけ?と8がでてこないまでに思考停止したあげく
40分中20分間、頭の中に春が訪れてふわーと過ごした結果、
我に返って解けた問題が14点分。」
ということだそうです。


「特進に入ってウツになるのを避けようと思って加減したの~」などとうそぶく息子。
彼史上初の100点満点中10点台を受験で取ってくるとはあっぱれだ。

「あはははー試験中にハワワワワワワワワワワーーーーーッってなったんはじめてやったわぁ~。」


・・・・次やったら、確実に落ちますよ。第一志望に。


「ま、次はだいじょーぶ。」

その余裕が。そのいわれのない余裕がどこから来るのあなたは。
公立に合格したらPSPがほしいなぁ~とか言い出しました。

合 格 し た ら な 。

するんだろうけど、こんないい加減なやつにお祝いなんか買ってやりたくない~www
洗濯機がこころもとない。

夜中も運転できるのが最近の洗濯機のクオリティなのに
夜中どころか昼の騒がしさの中でも
「ぎゅうううううん!きりきりきりりりりりー!」と悲鳴を上げつつ回り出し
「がごん、がごんがごんがご・・・・・・ぴぽぱぽぴーん♪」と
よじれて動けません。助けてぴぽぱぽぴーん♪とのんきにわたしを呼ぶ。
恐ろしくうるさいので
せっかく時間帯割引を生かして安い深夜電力で洗濯を、なんてことができません。
昼間に4度回します。
そのうち3度は脱水で止まります。
計4度分の洗濯に脱水は7回回す。
「いやだぁできない~」とゴネられるたびに
バスタオルの位置を変え、
水を多く含んだものを手で絞り。


洗濯板で洗う昔の苦労から解放されたはずの
現代の機械化されて時間の余裕ができたといわれている主婦ですが。
洗濯ものに一日つきっきりですがなにか。
それもホームタイムの一番ド高い電気料金でーーーー!


なにかがどこにはさまっているのか。

でえいとひっくり返して点検してみましたが
洗濯機の分解は普通の人はしないんでしょうなぁ。

一体成型になっていて、分解のとば口がひらけなかったり
簡単な構造に見えるから、がばぁ!と割ってもいいかと思うのに
どうやら基盤が雑に入れられてるから、よっぽどていねいに養生してやらんとダメだなとか
無理に開けたら分解ではなく破壊になってしまいそうです。


「買うで。新しいの買っちゃうで。」と脅しつつ回転を強要していたのですが
このごろの懸賞に電化製品が多いのをご存じ?
ななめドラム。大容量。静音。
必要だ。我が家に必要だ!

どかーっと 懸賞に応募してみました。

当たる気がする。(気がするだけ)
だって、今へこんでるもん。(わたしだけだが)
だって、私立の入学金だけで4万5千円も払うんだもん(中古なら買えるのに)
だって、公立合格したって制服とジャージと教科書で25万はいるもん(最新の洗濯乾燥機が買える)
ホラ!
当たる気がする。(気がするのはいいことだ)


なので
「そろそろ当たっちゃうで!」と脅しながら今日も洗濯です。

やつもがんばっている。わたしもがんばろう。
突然のことから
あわただしく日が過ぎて
事務も一段落
今後の方針もおおまかにまとまり
ここで少しスローダウン、と決めた。



アサギマダラというチョウがいる。
このチョウは渡りをする。
あの翅で1000キロもの海を渡る。
途中で落ちて死ぬチョウもいるだろう。
もしも海に船があれば
ほんのすこし止まり木で休みたいだろう。

アサギマダラのようだ。
海が広すぎる。
真っ暗で見えない海を渡る。
一気に渡ってしまわなければ水に落ちるだろうか。
ここでもし止まり木に停まって翅を休めたら
飛び立てるんだろうか。


スローダウン、と決めた。
区切りがついた。

足をとめた。



そのとたん 折れそうになってる。




ごはんが作れなくなってる。
毎日の献立が考えられなくなってる。
がんばれ、と思うが がんばれない。

そうか。こういうことか。
きついな。
大事な人を失うってことは。

ひとくぎり

2010年2月7日 日常
土、日とゆっくり話をして実家の処分が決定した。
方針が決まった。
新生活をはじめようとする兄。
自宅に戻って余生を生きようとする叔父。
「そのあと」のそれぞれの生き方のことはまだこれからだ。

よく考えてすすめてゆくために
あわてないでおこうね、と確認して
それぞれが、自分のことをゆっくり考える時間を持つことにして
帰ってきた。



母からの宿題の手紙を、兄にも読ませた。

「人に優しく 自分に優しく ニヤニヤ笑って生きて」ゆくために
今からの人生をどう生きてゆきたいかを
自分の胸に落ち着くまでよく考えてほしい。
できない理由を探さずに
できる工夫をしてほしい。

一生懸命、応援はするけれど
道は自分で開いてね

どんなに仕送りをして助けてあげられたら楽だろうと思うけど
それをしたらわたしがお兄ちゃんのこれからの人生をめちゃくちゃにしてしまうと思って
がまんしてるのをわかってほしい。

ゆっくり悲しんで
ゆっくりすすもうね。

言わなけりゃ。
わたしがちゃんと言わなけりゃ、ね、おかあちゃん。
そう思ってがんばった。



できたばかりの母の位牌は、兄が実家に持ち帰った。

ひと区切りついた。

入会

2010年2月5日 日常
母の戒名を付けてくださった先生に
一度お目にかかってお礼を申し上げたいんです、とお電話をしたら
「どうぞ、ご放念ください。」と重ねて辞退なさる。

どうしよう、と思っていたら
「おかあさまのおいでになっていた歌会にぜひいらっしゃい。」
と2月の例会にお誘いいただいた。

「ぜひおいでになってください。12時からです。」

歌会は、おそろしい。
詠んだ歌をよってたかって評をして切磋琢磨する会だと知っている。
どれだけ母から「真剣勝負」の道場のようなところだと聞いていることか。
それも「言葉の剣」の剣豪たちの切りあいですよ。歌会なんてとこは。

ひええ、そんなおそろしい、と口ごもっていたら
先生お察しくださったのか
「座ってるだけでよろしいですよ。歓迎します。」と優しい物言いでお誘いいただいた。

おめにかかりたい一心で
先生主宰の歌誌の会員になることになりました。
なんていうご縁かと思う。

1年分の原稿を11月に送っていた母。
今年の12月号まで
誌上で母に会えます。

斬り捨てられないようにそうっと見物だけしてきます。
実家の処分をするのに
叔父さんとちゃんと話をしたい。

半分は叔父さんの名義だ。
叔父さんの意志が大切だ、と思っている。

どうしたい?とおじさんに尋ねたいのだが
ここにイトコくんがはさまった。
「僕が長男だから。」「親父ははっきりしないし、施設だから。」

窓口がイトコくんでも別にかまわない、と思っていた。
高齢の親のサポートを子どもがするのは当たり前だ。と。

な、ん、だ、け、ど。

イトコくん、話しづらいぞ?


この機会に、この際実家は処分してはどうだろう。
叔父さんが施設にこの先もいるのなら、叔父さんのためにお金を使えるようにしたほうがよくないだろうか。
手続きも交渉も簡単ではないので、わたしたち兄妹の相続分だけ売却するよりも、
現地いるわたしたちがまとめて取引をすすめたほうがよいのではないか。
売却したら名義分をちゃんと振り分ければ問題ないと思うがどうか。

というふうに
わたしとしてはなんの魂胆もなくとっても良心的に話しているつもりなんだが

どうもイトコくんは、わたしたち兄妹が「サギ師」に見えがちらしい。
うまいことゆって、オレの財産をどうにかするつもりじゃないのか的な言葉を
ときどきうっかり言うんだなこれが。

トホホ。
こんなところに「関係の貧困」が。

おにいちゃんに、「心が折れたよ。」と電話で話したら
兄「あっそう。そっちがそうならこっちもやったるでぇ~~~いひひ~」
妹「やーめーてぇぇぇ~。」
と、いちびりだしたので
居住権をたてに実家総取り、とかヤラシイことをしないうちに
叔父さんに会いに千葉へ行ってきます。

あっちもこっちも面倒を見ないかんとこが多すぎるのでないか。
面倒見委員会か。

とほほ。






というように、
年末からわが子たちのことはほったらかし気味、というよりも
子どもたちに支えられてよれよれと1月を過ごしたわけですが

おかげで
冬休みの間に徹底的にやるはずだった
英語と数学の基礎固めを
まったく見てやれなかった結果

冬休み明け実力テストで英語37点をとってきました。(ミー・アイ、チロ・中2)

ぐ がはぁあっ と母は軽く吐血しそうです。

本人もさすがに血の気が引いたようで
受験生の兄よりも机に向かう時間が長いこの頃。

すっぽりと迷宮に入りこんでしまわれたので
解きほぐすところから
そばについてやらねばなぁ、と
いっしょに本屋に行って、わかりやすい参考書を選びました。

さあ、ここも立て直し。
あっちもこっちもたーいへーん。
金曜日にPTAの人権講演会があった。
貧困について、路上生活者支援NPOさんのお話を聞きました。

---

普通の人が路上生活者になるとき、階段を一段ずつ落ちてゆく。

仕事をしていたのに失職。
仕事の階段を一段落ちる。
セイフティネットは雇用保険・労災保険。
雇用保険が切れた時に失業扶助がないので、ばりっと破れてネットから転がり落ちる。


職がないから年金や健康保険や介護保険の保険料が払えなくなる。
健康の保障がなくなる。体が悪くなるとどうにもできない。
健康の階段を一段落ちる。
ここにセイフティネットはない。


体が悪いから仕事ができない。
家賃が払えない。滞納。ローンの破たん。家がない。
住居の階段を一段落ちる。
セイフティネットであるはずの公営住宅はくじびきであたらない。家賃の扶助はない。


貯金が尽きる。借金をはじめてしまう。
金銭の階段を1段落ちる。
最後のセーフティーネットが生活保護だが捕捉率は19%だそうだ。
どすん、と底に落ちる。そして野宿。


---

貧困の階段は下り階段だけ。
落ちてしまってから元の位置に戻ろうにも上り階段はなくて高い壁があるだけ。
だから上るのが難しい。
だから上り階段を作ることが「支援」。

生活保護の申請を手伝う。

家賃が払える状態になった。

入居の保証人になる。

住所ができた。

仕事探しを手伝う。資格をとる間の生活保障をする

生活を立て直して保護しつつ「関係の貧困」を解決する。

---

現代の貧困は
「経済の貧困」と「関係の貧困=社会的な孤立」の複合。
経済的な貧困の根は関係の貧困に由来することが多い。
自分の居場所がない貧困。
家庭が居場所ならない「虐待」
学校が居場所にならない「不登校」
社会に居場所が持てない「ひきこもり」


失業して、行政からも放置されても家族が助けてくれた。
うちにはおかあちゃん(専業主婦)がいて、
「家族福祉」が大きく働いて家族を支えていた。
社会は変わって、家族も変わった。

国家の失敗は行政が生活保障を回復させて対抗する。
市場の失敗はまともな雇用を回復させて対抗する。

でも、家族の失敗は回復の見通しがない。
家族以外の互助関係が必要になる。

---

1993年一人の高校生が親の借金で高校を中退した。
両親は失踪。助けてくれる人は誰もなかった。
短期労働を転々として1999年、池袋で通り魔殺人の犯人になった。
2008年、死刑判決が出た。

1993年一人の中学生が親の借金で家族解散を宣言された。
父親は失踪。3人兄弟の末弟は公園で暮らした。
事情を知ったともだちのおかあさんが、助けてくれた。
地域の人たちが3人兄弟に家を借りてくれて、生活費を貸してくれた。
1999年漫才コンビデビュー。2008年、「ホームレス中学生」がベストセラーとなった。


---



経済の貧困の階段を落ちてゆく前にできること。
上り階段を作ること。

まさかとは思ったが 身近に。身内に。
下り階段の前でふらふらしているのがいようとは。

そっちじゃないよ、こっちだよ。
手伝うから、いっしょにがんばろう。おにいちゃん。
金はないが、心は豊かだ。


あのテレビ

2010年1月30日 日常
おかあちゃんのお葬式のあと
2000円値切って買った29インチのテレビが
リコールに当選しました。

パリって割れてた外装にいちゃもんつけて2000円値切ったのに
(ああ、今思い出しても身が縮む。なんであんなことしたかわたし。)
その外装が不具合だそうできれいな部品に交換してもらえるそうです。

おにいちゃんはその記事をネットで読んで
「ヤホー」とサンヨーに連絡して
さっそく修理に来てもらうそうです。

「あんな、おまえが値切ってくれたやん。テレビ。
 あれな、うふふふふふふふ。リコールやねん。
 8000円やったのに。
 いひひひひひひひ。新品。うははははは。」

笑いが止まりません。

「よかったよなぁ。おかあちゃんにお礼言うときや~。
 おかあちゃんがなにかねじ曲げてくれはってんで。」


こんな末恐ろしい状況でも
ああやってごきげんさんで明るく「なんとかなる~ぅ」と暮らしておられます。

笑ってる場合ちゃう、と首吊ったりしないノーテンキさが
おにいちゃんの一番いいところ。
そんでしかも、なんとかなるのよね。これが。


去年暮れから1月初めまでのケータイ料金が出た。

げ。なにこの通話料。
家族でしか話すことがないからと、オプションの他社割引をはずしていたのがまずかった。
兄のドコモケータイとの通話が7000円を超えている。
他社通話ふだん300円以内なのに。

だからといって、
「もう電話しない~」というわけにはいかない。

おにいちゃんは実家にぽつんとひとりきりだ。
毎日用事があってもなくてもたくさん話をしたい。
そのために電話があるんだもの。

子どもたちのケータイをひとつ奪って送るか、とも考えたけれど
一番取り上げられそうなマルたんが涙目になってきた。

マルたんが大事に持ってるケータイは
実は先月まで母が使っていたものだ。
大事に持ち歩いていてくれてこれで毎日電話していた。
電池パックに不具合が起きて、
わたしがこちらで修理をしてる間に母は亡くなった。
うん。このケータイは、手元に置いておきたいよわたしも。ね。

とりあえずソフトバンクショップに行ってみる。

まずは料金の確認。
このオプションは外せる?
この料金単価の違いはなに?
ここからまだ節約できる料金形態ある?

ひととおり、料金節約に納得できたので、
節約分で新しいケータイを1台契約した。

おにいちゃんの誕生日の入った電話番号にしてもらって、
24時間通話無料の電話ができた。
ソフトバンク同士の会話とメールだけなら、月々の支払いは1500円以内だ。

妹「おにいちゃん、ケータイ、1台送ったからね。
 それで電話しよう。
 ドコモは早く解約して。日割りで請求が来るから、その分節約しよう。」
兄「えー、でも、仕事の電話が来るかもしれへんやんけ。」
妹「番号変わったって通知出したらええやん。」
兄「えー、でも、受信しかせえへんからドコモたいしてはらってへんで。」
妹「それでも2000円くらいにはなるはずやん。」
兄「たいしたことないやん。」
妹「・・あのな。わたし、その2000円をおにいちゃんが食べるために使ってほしい。」
兄「2000円やで。」
妹「2000円あったら4日は食べられるで。無駄なものに使わんと、生きるために使ってよ。」
兄「そやけどなー。仕事がなー。」
妹「メインのメールアドレスさえ死んでなかったらええ。」
兄「そやけどなー・・・またかんがえ、」
妹「あかん。早く解約してきて。もったいない。
 仕送りでけへんぶん、こんなふうに毎月助けよと思ってしてんから、はよ解約。」
兄「んー・・・んー、そうかなぁ」

イーーーーーーーーっ

兄「で、そのケータイはソフトバンク?」
妹「うん。」
兄「・・・・それって、iphon?(ウキウキウキウキ)」



・・・・・・いや。確かに一瞬考えた。
喜ぶだろうな。iphonだったらと。
だがな兄よ。
妹はそこまでアマくはないのだ。
どちらかというと今は鬼妹なのだ。

2年たって、契約更新時期になって、
おにいちゃんの人生が立ち直ってたら
お祝いに買いかえてもいいよね。
それまでは
一番安いサムスンで充分じゃあ!


翌日届いたケータイは
意外にカッコよかったためか大変よろこんで
兄「ちゃんとホームページの問い合わせ番号も変えとくわ~」と電話がかかってきた。

これでタダ友になったから、ゆっくりしゃべっても大丈夫。


ぬふふふ。
これから ゆっくり お説教できます。(鬼妹)
査定サイトで見つけた業者に
土地の査定を依頼してみた。

大手6社
地元1社

その日のうちに電話がかかってきたのが
・みずほ
・UFJ
・住友
メールが来たのが
・東急リバブル
3日たっても連絡のないのが
近鉄と地元

査定フォームには、土地の住所しか記入していないのに
大手3社はいずれも地番を調べて
電子登記簿で土地の確認をしてから電話をかけて来た。
土地の名義、㎡数、建物の名義、建物の築年数を正しく把握してから
査定のために詳しい話を聞かせてくださいという電話だ。


【みずほのつかみ】
母が亡くなって相続した土地なんですが、というわたしの言葉に
「・・・・そうでしたか。いつごろおなくなりに?たいへんでございましたね。」とお悔やみ。

不動産屋にお悔やみ言われるとは思わなかったので「いい人じゃん。」とか思う。
土地の取引の話だけでなくて名義人の話を軸に親身に話を引き出す営業のおにいさん。

もちろん、どういう曰くの土地か、
売却連絡をした私がどういう関係人か、まともな人間かを確かめているんだろうが
「ご実家ですか。売主さんにとっては大切な土地ですから、
よく調べて査定をはじめさせていただきます。」なんてさらっと出てくるあたり
都会の営業はこなれてるよなー。

う、うまい。
★★★★☆


【UFJのつかみ】
「ボク実は去年までご近所の銀行の不動産部にいたので、あのあたりの土地はわりとよく知ってるんです。」
土地勘あり宣言です。
登記された合計の㎡数や3面が道路、駅徒歩1分てとこから、「まずはざっくりですけど、」と
相場の金額は坪20万~25万てとこだと思うんですよね「ボクとしては。」

ボク個人としてはよい土地なので相場~の値段だと思うとつかんでおいて、
「でも、広すぎるんです。」だから業者買い取りが近道です。と、方針を提案。

気さくなしゃべり方で、ポイントを押さえたリードです。

うまいなぁ。
★★★★☆


【住友のつかみ】
「電子登記取り寄せて調べました!」と元気なおっちゃん。
登記簿上の不明点をいくつか質問した後、わたしの話になる。
名義人と性が違うわたしが何者か、ということだ。
居住人の妹で名義人の娘で相続人で、嫁ぎ先が建築と不動産屋だとなめらかに聞き出して
「いっぺん現地みてきますわ。それで、他社さんとの査定を比べてください。他社さんまだなんもいうてきてません?」
と、さりげなく専属契約の動向を確認です。

あっさりした言い方で必要なことはみんなさらえてゆく要領のよさよ。
うまい。

★★★★☆



不動産業界は波風がきつい。
資格がものを言う業界じゃなくて
度胸とセンスがあって渡ってゆける業界だもの。

都会の不動産業界で食える営業なんていうのは
いい加減な奴なんかいやしない。
会社の看板役者のような営業さんたちでした。


のんびりしたいなかの建築会社の営業(それも専務待遇)に語って聞かせたら
「うえー、お悔やみ言うの!あぁ。そう。すごいなぁ。」
「ああ~、さらーっと業者売りの話も出すんや~。ちがうなぁ。」

・・・・いや、感心してんと、アンタもそういうキメの細かい営業を。

「そんなんな、大阪の大手不動産屋やで?トップクラスに決まってるやん!営業なんて!」
「会社の教育が行き届いてんねん!ていうかアカン奴はそこへ座らせてもらえへんねん!」

言いまつがいの多い、不思議な言葉のつなぎ方をしてしまうヒゲくん。
あなたの勉強のために、わたし、窓口を替わってあげてもいいのかも。
ものすごく勉強になるよなぁ。

なんていうの?
相手が安心してしまう引き出しをたくさん持った、緩急自在で軽快な心のないフリートーク?
大事よね~。
がんばってね、ヒゲくん。営業の基本よね。

じゃ、ちょっとPTAに出かけてくるから。
と家を空けている間にまた不動産屋から電話があったらしい。

ヒ「おかえりー、不動産屋からでんわあったでー。」
わ「ありがとう。どこから?」
ヒ「んー、わからん。」
わ「は。」
ヒ「坪単価20万位ってゆうてたで~。」
わ「・・・どこのだれが。」
ヒ「・・・・んー。わすれたー。」






・・・・・・・・・子どものおるすばんですかっ!


あやうし、ヒゲ建設。


2010年1月29日 日常
どうしようおかあちゃん。
おにいちゃんはどうやら
怖くて動けなくなってるように思うんだよ。
そうだろうと思う。わたしだって怖いよ。
家を売ろうにも、知らない土地へ移ろうにも、
どこかへ働きに出ようにも、バイトを探すだけのことでも、
おにいちゃんは足がすくんでるんじゃないかと思うんだよ。

動き出すことができないから
動き出さない理由がどんどん増えてくの。

どうしよう。
どうしたらいい。

おかあちゃんの写真に朝のお水をあげながら相談したら
「あんた以外にだれがやんの。はよ動き。」と声がした。
人使いは昔から荒い母です。

兄だから。
男だから。
なんてジェンダーをわたしの逃げ口上にしてる場合じゃない。

おにいちゃんが
これからの人生を幸せに生きてくために
ワシがやらねば誰がやる。


妹、起動しました。
施設に暮らすおじさんのためにも
相続を済ませて土地の売却をすすめなくては。
と、いく度相談しても
「うーん、まだおちついてからでないと。」
「いやいや、実際相続が全部すんでから。」
などという兄。

土地なんて、簡単に売れるものではないよ。
とていねいに説明してみるが
「わしのすむとこがなくなるやんけ」という。

それは、あなたがどこに住むか決めて自分でするていうてたやんか。
関東へ行こうかとか、土地の処分が終わるまで市内で賃貸借りようとか。
・・・あてが、ないのか。もしかして。

むむ?むむむ?とゆっくり尋ねた結果をまとめてみると

仕事の収入がない。
ややこしいことひとりでようせん。

ということらしい。


「そんでなぁ、京都の骨董屋に【柿右衛門の壺】売ろうと思ってメールしてんけどなぁ、
あれ、作家の作品ちゃうから、そういう骨董屋には売れへんねん。
どうしようかなぁ。」

「掛け軸もなぁ、いろいろ出して見てんけど、値打ちがわからんねん。
誰に見てもうたらええやろ。掛け軸屋、てあんのか。」



・・・・・・・・。
あ、そう。

ひとときでも、
「お兄ちゃんだって男だもの。大人だもの。いろいろ考えがあるに違いない。任せておこう。それも自立の第一歩よ。」
と思ったわたしが至りませんでした。


バイト探せ。
今すぐ働け。引っ越し代を稼げ。
ハローワークが態度悪いのは知ってる。
ハローワークが嫌ならコンビニの深夜バイト募集の張り紙を探せ。
駅の無料バイト誌もらってこい。

近所に賃貸を探すからここに来い。来て働け。
実家の中のものを勝手に売るな。
不動産の売却はわたしがする。
ドコモケータイも解約しなさい。ソフトバンクケータイを1台送る。以後の連絡はそれでしろ。


わたしから一切金の仕送りはないと思って自活するんだ兄よ。





ていうか
あ ん た 兄 で す か っ






うへえ~ん。(泣)



とはいっても
やっぱりおにいちゃんだから、ほうっておけない。
あんなでも。

下は、苦労するぜ。
相続関係の書類が整った。
忌明けになる2月に手続きをしようと思う。

四十九日のお祀りごとはしないことになった。
お坊さんの読経のかわりにわたしが般若心経を読んでおくのでよしとしておくれ、おかあちゃん。

一事が万事、自己流だ。

毎日 朝おはようと声をかけて写真立ての前のお水を換える。
夕飯のときにはわたしのビールをおすそわけ。
切干大根がじょうずにできたら おいしいよ、といってお皿に盛る。
ハルさんのおやつタイムにいっしょのように、おかあちゃんにもあげよ、とおやつを供える
小さなガラスの花瓶を買った。仏花じゃない花を写真のそばにふんわり生ける。
お線香を立てる容器がないのでときどき短いお香を焚く。
ラベンダーやレモングラスやローズやコーヒーの香りで和む。

おかあちゃんの居る生活。

こんなお祀りでは、よくはないんだろうけれど
これでいいのだ!とおかあちゃんはニヤニヤ笑っている気がする。


余熱で十分

2010年1月20日 日常
年度末が近づいてきて
子ども会の役員だのPTAの役員だの
ゴタゴタがわしゃわしゃーと降ってきた。
かまびすしい。

「だから、どう思う?」なんて困り顔で言われても
どれもこれもみんなまとめて「ぞうさもねえ」って感じだ。

そういうのみんな、パワーの使いどころでは、ないです。
来年のママ役員的なことは、余熱で片づけようっと。

実家

2010年1月19日 日常
父の実家の親戚筋から電話をもらった。
従姉にあたるおねえさん。40年ぶりです。

父の兄夫婦が、父の実家に住んでいたが
二人揃って老人ホームに暮らしていて
あの大きなお屋敷は空き家だそうだ。

実家がなくなるのは、娘にとってつらい。

63になったおねえさんは、3時間がかりで月一度実家の手入れに行くそうだ。

「実家がなくなるのって、つらいですよね。」というと
「そうなのよね。あっても仕方がないとも思うけど。やっぱりね。」となぐさめてくれる。

その父の実家も、そろそろ処分を、という話になってくるようです。

ああ。実家と呼べるところがどこにもなくなっちゃうんだなぁ。
時代ってそういうことなんだものしょうがない。
でも帰る場所がない嫁ってのはちょっとだけ心が折れるよ。

兄よ

2010年1月18日 日常
毎日兄に電話をしているが
「今日は古いシンセサイザーを売った。」
「ピアノを売った。」
「CD売った。」
「本売った。」
と、なんやかんやうちの中の処分をはじめてくれている。

と、思ってたんだけど。
「これが、結構金になる~ぅ」

・・・・・待て。兄よ。
働く気が、失せてないか兄よ。

このまま家を漁って、即金の凄みに溺れてしまったら
コイツの老後お先真っ暗やーーー・・・

「待てえぇぇいっ。売ってもいいけどそれは引っ越し代金ですっ」
「仕事で食えんのならハローワークにゆけい!」
「生活保護申請の手立ても考えていいかも、とか、心配してるのになんだそれはっ。」
と、50過ぎのおっさんに小説教しまして、
府民(県民)共済に入らせることと、借家探しを始めることを宣言しました。


実家を処分したお金で
一生遊んで暮らせる~ なぁんて ユメのようなことを考えてたらどうしようあのバカ

おかあちゃん、ちゃんとこっちにも 宿題いうとかんと。



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