ハーちゃんに

2011年11月5日 日常
竹馬買った!


2011年7月17日 日常 コメント (6)
ハーちゃんをお迎えに行ったら、
2歳児クラスの子どもが手首や足首におそろいのラバーバンドをはめている。
品のない青色であまりよろしくない。

これはなに?と先生に聞いたら
「虫よけリングなのよー。」と言う。

ああ。
先般、保育園からプリントがあったな。
「これまで、夏のお外遊び用に使っていた虫よけスプレーは、”投薬”にあたると判断されましたので使用できなくなりました。」

はいはい。いらないいらない。とおもっていたオオザッパ母ちゃんだったが、
若いママンたちの間で盛り上がったらしい。

虫刺されを掻いて、傷跡が残ったらどうするだの
傷口からばいきんが入って「とびひ」になったらどうだの
わっしょーいわっしょーいとなったあげくに
「スプレーがだめなら虫よけリング!」とわが子に腕輪足輪をはめる母ちゃんが続出したらしい。

幼児向け商品ではないので、サイズが合わないのである
たいていのおちびちゃんたちは、靴下でさえ脱いでしまいたいのである。
いわんやサイズの合わないゴムの輪っかなど、ポイ!であたりまえなのである。

数日後、園から
「虫よけリングはかまいませんが、紛失してもあきらめてください。」的なプリントが来た。

ははあ。これがその虫よけリングかぁ。
大丈夫なんかいな、こんな工夫のないもの。

サイズが幼児用でないということは
薬効も当然幼児用ではなかろう。
最長1カ月もの薬効成分が幼児によかろうはずもない。

わたし「どうなのこれ?」
先生 「どうなんやろなあ?」
  わ「効いてる?」
  先「さあ?なぁ?」
  わ「ええことないよなぁ。」
  先「たぶんなぁ。」
  わ「ええことないで、て言うたったら?」
  先「それがさー、聞かんもん。聞かんどころかすごいもん。」
  わ「虫に刺されんのも経験やんか。あーかゆ、でええやんなあ。」
  先「ハルママみたいなおかあちゃんばっかりやないねん。」
  わ「わかった。講演会しよか、虫刺されも経験です、させたれ、って。」
  先「わははははー!してー!」


気になって調べたら
やはり虫よけリングは要注意だった。
気分が悪くなって吐き気や頭痛を起こす子どもがいるようだ。
一日中つけているからその分影響も多いのだろう。
乳幼児、敏感な子ども、アレルギーを持つ子にはおすすめできないなぁ。
虫除けスプレーでも隣の子にふっただけで、立ち上がれないほどダメージ受ける子いるものなあ。


子どもにとって、虫刺されも経験です。
そして、虫も住めないような世界は危ないです。
と、若いママンに言うてあげたいわおばちゃん。


ところでみなさん、
今年、セミが少ないと気づいていらっしゃる?
これだけ夏の気温が続いているのに。
羽化するセミが少ないと、気づいていらっしゃる?

虫も住めないような 危ない世界 が現実になりつつあるのだと 気づいていらっしゃる?




ハーちゃんの通う保育園が
私立から市の認可保育園に変わった。

なんでもありな旧体質から
福祉課のお目付けがやかましい保育園になったわけです。

お泊り保育は日帰りのデイキャンプになりました。
幼児の合宿は推奨しないのが行政の方針なのだそうです。

社会生活にも慣れた園の最高齢6歳児ならではの楽しい企画だったのになあ。
カレーを自分たちで作り、プールで遊んで、夜はキャンプファイヤーと先生たちの体を張ったヒーローショー。
クーラーの効きの悪い体育館で、はじめての雑魚寝お泊り。

「こんないい体験、ほかででけへんのに、なんで市はうるさいの?」と園長に聞いてみたら
「いろいろ言うけどな、本心は熱中症とO-157や。万が一でも市に責任がかからんように。」
とのこと。

あれまあ。とほほ。

スタッフをしている子どもNPOでも
毎年恒例大人気の小学1年生から3年生までのお泊り合宿の後援を教育委員会が蹴ってきました。
推奨できない企画だと。


とほほのほ。


「かわいい子には旅をさせろ」と昔の人は言うけれど
旅させちゃいかん!と上から言われて旅のできない今の子どもたち。

なるほどなぁ。
かわいくないねんなあ。子どもなんか。
かわいいのは自分やねん。きっと。保身ていうやつやねんなぁ。

この先、たくましくなかったら、生きていけへん世の中にしといて よう言うわ。

子どもはいつまでも子どもではない。
大人になる人だ。
大人の先輩がその芽を摘んでどうする。



行政に変わってもらわなあかんなあ。と思う。
なにから変えていったらええのかなあ。
どうやって変えていこうかなあ。

子どもの権利条例づくりに
図らずもかかわってしまったのは、こういうことにつながっているのだろうと思う。





わたしが かわいそう。
今日の発表で、
昨日、県内でもはじめてヨウ素が検出されたそうです。

うん。だよね。
20キロ圏内の赤い丸を見ながらとても違和感がありました。
地図の上にコンパスでくるっと丸を書いて
「ここまでです。」なんて、自然が「はいそうですか。」なんて納得するわけがないと。

地球レベルの汚染が始まっていることを理解して
つきあっていかないとなぁ、と思う。

原爆を2度も経験して大量に被曝したあのとき
どうやって日本人は乗り越えたんだろう。
いつのまにかのほほんと世界トップの長寿国になっているけれど
あの時の大人たちはどうやって乗り越えたんだろう。

(政治家や軍人が、ではなく、あのときの市井の大人たちは、と考える。)


今、大人のわたしは、どうやって乗り越えていこうか。
えらいときに、大人なのは、きっと何かの縁だわ。

がんばろう、の掛け声だけじゃなく
メニューが必要なスキームになってんのに、
だれもメニュー書いてないんじゃないのかなぁと思うのよ。
どうなのそのへん。

セイジカシュドウにこだわって、優秀な官僚に仕事させてないのかなぁ。
餅は餅屋なのに。蛇の道は蛇なのに。蛇が餅こねたりしてないだろうなぁ。

この国に住んでいるわたしたちに、なんの説明もせず、なんの協力も、なんの参加もさせずに
なんとかなると思ってないだろうなぁ。


本当の意味で
ひとつになろう、がんばろう、いっしょに頑張ってください!って言ってみろ政治家っ。

募金

2011年4月9日 日常
赤十字に振り込んだのだが
なんだか「もう寄付はしました。」という気になってるぞわたし。と気がついた。

とほほ。

自分にルールを決めました。

募金箱を見かけたら10円入れよう。
一緒にいる家族の人数分10円を入れよう。
子どもといっしょに募金しよう。

1000円振り込むことができるのだったら
10円を100回募金しよう。

長く長く支援したい。

必ず10円入れてくおばちゃんがいるから
もうちょっと募金箱置いておこうってお店の人が思うように
まだ終わっていないって募金箱を見た人が思い出すように
10年先の子どものために続けられる支援をしていこう。


「支援」はヘルプではなく、サポートだと学んだ。
子ども支援の現場に立つようになって
その意味を実感した。

支えていこう。長く長く。

シンクロ

2011年4月3日 日常
あらっ。
今日気がついた。

地デジテレビと
アナログテレビ、
ズレてない。

NHKの定時ニュースにも
タイトル時計が戻ってきている

そうかあ。
地デジどころやないで、と、思ってたけど
どうあっても、やる気なのね。

ポロリ

2011年4月2日 日常
あちゃー。

http://www.faireal.net/dat/d2/d20903.xml

無知やね〜わたしは。

プロ

2011年4月1日 日常
東電会長のあのスピーチを書いた人は、プロだ。
おそろしく、上手い。

原発の技術者も
やっとプロが登板してきたのだろう。
なにもかも、やっと、これからだと思う。

http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
これは、読みましたか?

どの分野にも真実を知っているプロはいる
そして、ないがしろにされる。


たなかけん(ケーナ:還暦)が娘のことをラジオでしゃべってる。
2回目の結婚での幼い娘。
もうめちゃめちゃかわいいのだそうで、
「余命を考えるとなんでもしてやりたいんです。」
の発言に、いやまだ、まだ元気なはずでしょ!とツッコミながらも
50代で子どもを授かった人って、みんなそういうのよね!という聞き手のコメントに納得。

ほんとそうよ。
後のこと考えると、なんでも許せるー
ということで、もうハーちゃんたら、ずやずや。
去年は、ほんとにつらかったなぁ。
そしてとてもよくがんばった。

12月だけで大阪に4回、帰り、
和歌山のお寺に1回ゆき、、
湘南に1回行った。

大阪まで150キロを4往復かぁ。
12月の移動距離、1385.8キロ。
よう運転した~。

移動している間に
どうやらクリスマスが来ていたようです。

クリスマスプレゼント一つ用意できなかったのに
子どもたちからはなんの不平も出なかったどころか
わたしのいない間、三食きちんと自分たちで食べて健康でいてくれたことが
わたしにとってのプレゼントかも。


そんなわけで、
うちで、もう使わなくなったものを「モノモノランド」に送り込めませんでした。
年末には大サービスで2回増便されていたという「モノモノランド」行きのバス(収集車)は
わたしがへとへとで帰ってきて、ちょっと休眠して、蘇生したころには
バス停(集積場所)にバスが出る合図の黄色いカラスよけネットがかかることもなくなりました。

バスに間に合わなかったのはショックだったけど、
ま、その分腰を据えて食器棚に溜めこんでいた何年も使っていないものたちをみんなバス待ちにしました。
食器棚、からっぽ。
使う食器は決まっている。

空になったところに、実家から持ち帰ってきた滝山の和食器17種類10客入れても
まだ空いてる食器棚をながめて ほんとに、要るものだけで暮らすことにしなくちゃ。と実感。
実家の処分で一番つらかったのは、モノの処分だったから。

これからは、わたしが死んだときに「なんでおかあちゃんこんなものとってあるんやろう?」
と子どもたちが首をかしげなくて済むように「ドラミちゃんのマグカップ」とかを
うかつにもらってこないように気をつけなきゃな~。
断れる自分になろう!「おまけ、要りません!」て。


生きてるうちにやれることは生きてるうちにやろう~

と、今年もゆるゆるニヤニヤ生きていこう。
本年もどうぞよろしく。








明け方起きてテレビをつけたら
朝まで生テレビで東京都の漫画の規制、どうよ?て話をやっていて、
「エロ漫画の作者」ていう東さんて人が出ていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

え? 
「このリア充めっ!」と罵るという?
10本アニメですらカラミOKと豪語する?
アシさんに虐げられることにも若干嬉しげな?







5歳の娘がいるおっさんだったが。

ドキドキ。まさか。まさかね。
もしもこのひとがあのひとなら、わたし、今度からTemさんの日記をどう読めば。うわーん。

文科省

2010年12月18日 日常
小学校一年生だけ35人学級。


腰抜けどもめーーー!

Android

2010年12月9日 日常
車をドア一枚分擦ってしまった。

いっぱいいっぱいになってる自分に無理させてるのはわかっていたので、
ああ、ついにやってしまった。とガックリ。
ほんの些細な不注意を修正できない自分を改めて実感する。

もう、無理なの。無理なのは承知なの。
わたしはそんなに強くない。

それでも日常は普段どおりに流れてゆく。

タスケテ。
と、オットに相談したら、答えは散々だった。

ああ、そうだった。
期待してはいけないのだった。
もう何度こうやってわたしは傷ついただろう。


母のいない心細さがこんなにつらい。
落ち込むわたしに本能で寄り添ってくれるネコもいない。

ぽろぽろ 泣く。


去年の春ごろに、家出をて行方知れずの従妹(イトコ)ちゃんがいる。
私より二つ下。42歳。独身。

わたしの母の弟、ヨーイチおじさん(仮名)には子どもが3人あって、
その末娘がアツコ(仮名)。
叔父さんとアツコは千葉で二人暮らしをしていた。

なにか、会社でトラブルがあったらしい。
叔父さんと一緒に暮らすのにも疲れてしまっていたらしい。
あとからアツコの兄と姉はそういう。
失踪の前々日に会っていた姉もそぶりに気がつかなかったらしい。

1週間近く欠勤して家にいたら
心配した同僚が尋ねてきて
その翌日に
「会社に行ってきます。」と叔父さんに言って そのまま失踪。

もう1年半くらいになるらしい。


そのあと、おじさんは動脈瘤が悪化して入院、今は施設暮らし。
マンションの部屋には誰もいなくて、廃墟のようになってることも、
わたしの母がなくなったことも、
彼女にとっての「おじいちゃんおばあちゃんの家」がもうすぐなくなってしまうことも
なにも知らせられないままだ。

手掛かりがなにもない、と聞いていた。
血眼で肉親を探さないドライな兄姉に驚いた。

先月、同僚が、神奈川で見かけたらしい。
声をかけたら「もう忘れて。」と言われたらしい。

生きてるのはわかった。

そして、つい先日、アツコの姉から話を聞いていたら
「どうもね、お酒を飲み歩いてたらしいんだけど、2丁目のゲイ・バーによく出入りしてたらしくってね。
たぶん、そのつながりで、今はどこかで暮らしてるんじゃないかと。」
なんて言う。



すっごい、てがかり、あるじゃん!
ゲイのみなさんのネットワーク、半端ないんじゃないのか。


困ってないかな。アツコ。
アツコが帰りたくなったときに、帰れる場所がもうすぐなくなってしまうことを伝えたい。
しんどかったら、うちにおいでよ、と伝えたい。
伝えるだけでいい。自分のしんどい事情を背負って生きてるんだから。

元気なら、いい。だけど、心配してるよ。って伝えられたら、いいんだけど。


ヒゲくんの父が ちょっと神さまぽくなってきた。
GODはいってきたなーおじいちゃん。と言っている。
ようは、ちょっとボケてきたのね。

「あんたは、何年生になったんじゃ。」と会えば必ず子どもたち全員に確認する。毎日でも。

「中3。」
「え??なにて?」
「ちゅうがくさんねんせえ です。」
「ああ、ほうか。ほんで、年はいくつ?」
「14歳です。」
「ほうか。おおきなったのう。」

ここまでがワン・ターン。
これが平均2回は繰り返される。
うちは4人子どもがいるので
とりあえず8回は
「ほうか、おおきなったのう。」が、聞ける段取りである。

じいちゃん、また聞いてるよ!と子どもたちが言うので
じいちゃん、そこはループだから、つきあえ、と言ってある。

わたしには
「大阪のお母さんは、お元気か。」と必ず聞く。
なので必ず、
「しんじゃったけどねぇ、元気だと思うよ~。」とニコニコ答えるのがワン・ターン。そしてループ。


じいちゃん相手に、漫才しているようである。


今までは走り幅跳びのような会話で、跳躍したとしても、だいたいの着地点に見当がついたが、
最近はちょっとバレーボールみたいになってきた。
ブラジル級の高さからズバン!ズバン!とコートに突き刺さるイナズマ・スパイクの連打に
ハイっ!ハイっ!と拾って拾って拾いまくる。
普段このリベロはおばあちゃんがやっているのだが
さすがにばててきたらしい。
いかん。お義母さんが壊れたらえらいことだ。故障する前に交代しなければ。
姑、OUT、嫁、IN!である。

マルさん、ハルさん、わたしのチームで
おばあちゃんの息抜きタイムに コート・インしてきました。

先月より手ごわかった。
神の領域にだんだん近づいてきてるなぁ。


帰り際のスパイクは
「この車は、あんたの?何人乗り?」だった。
「7人乗りのトヨタ ウィッシュ」を 
おじいちゃんは見えなくなるまで角で手を振って見送ってくれていた。

わたしのことは大好きらしい。それは、忘れないでね。

初盆

2010年8月12日 日常 コメント (2)
初盆。
なにをどうしていいんだか。

まだ手元に置いておきたい、と兄が言うのでお骨は仏壇の前にある。
魂はふわふわとそのへんにいるような気がする。
実家のお仏壇の世話は兄がなんとなくしているらしい。
わたしのうちでは写真を飾って毎日なにかお供えしたりお線香焚いたりしてる。

初盆のちょうちんを作ることも
祭壇を整えることも
お坊さんを呼んで拝んでもらうことも
生前の母の「坊主丸儲け、アホちゃうか」精神をかんがみれば
遺志に反するようにも思えて
息子も娘も「せんとこか。」と落ち着いた。

「生きてるもんが、げんきやったら、そんでええねん。」というのは母の口癖。

それでも、13日に実家に帰って、お供えを整えたら
迎え火をたいてお迎えしようかな。
にぎやかに帰ってきはったらええねん。
なんにもないけど。

そやけど、おかあちゃんは、お浄土へいってんのかいな。ちゃんと。

不明のお年寄り。

ヒゲくんが、そんなことなんでやねん、という。
しんで、そのあと どうすんねん!と。
無理やろ!かくしとくのなんか!と。

考えてみた。

兄は心肺停止になった母のために救急車を呼んだので
母は病院へ運ばれた。
病院では死亡診断書をもらった。

呆然としている兄に、
「これ持って、市役所行って、死亡届出してきて。」と言った病院関係者。
「自宅でなくなってはるから、検死検案書を、検死医とこ行ってもらってこなあかんで。」と言った警察関係者。

ひとが一人死んで、戸籍から除籍する手続きをするのは、遺族の仕事なのか、と知った。
病院からも、警察からも、除籍の手続きは申請されない。
死亡届けが出されてはじめて埋葬許可が下りる。
許可がおりたら火葬場が使える。
許可が下りなければ火葬場は使えない。

市役所の窓口で、なんども母が死にました、と繰り返して
年金も健康保険も介護保険も水道料金の名義変更も
みんな遺族がする。

「亡くなった人を確認する作業」がなにひとつリンクしていないお役所仕事。
呆然と立ち尽くす遺族がよろよろとひとつひとつの窓口へ向かう。

悪意があってしない人もいるかもしれないが
良心的でもわからなかったり、できなかったりする人も多いだろう。

亡くなっているのに、年金の名簿では生きているお年寄りたちの
理由のひとつめに、部署またがりのシステムの不備があるのではないか。




ふたつめは、
「ああ~ばあさん、しんでもたー。
ばあさん、さみしないように、松の木の根元に埋めといたるでな。」
なあんて爆発的行動力があるお年寄りって、いっぱいいる気がすること。
「なんでや。わし、ちゃんと埋めたがな。」とか言いそうな。



ふたつめを聞いたヒゲくんは、
ボケてるやん、といったが、
わたしがしんだら、庭に埋めたるって、
前にあなた言ってましたよ・・・・・。
あの人、”揉ませ”や!

という会話を聞きまして。

もう、あの人、あっち行ってしゃべり、こっち行ってしゃべりして話かき混ぜはんねん。
あっという間にエライことになってなんともならん。
エライ、揉ませやで。

というような意味と使い方、らしい。
のだが。

ホント?

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