入会

2010年2月5日 日常
母の戒名を付けてくださった先生に
一度お目にかかってお礼を申し上げたいんです、とお電話をしたら
「どうぞ、ご放念ください。」と重ねて辞退なさる。

どうしよう、と思っていたら
「おかあさまのおいでになっていた歌会にぜひいらっしゃい。」
と2月の例会にお誘いいただいた。

「ぜひおいでになってください。12時からです。」

歌会は、おそろしい。
詠んだ歌をよってたかって評をして切磋琢磨する会だと知っている。
どれだけ母から「真剣勝負」の道場のようなところだと聞いていることか。
それも「言葉の剣」の剣豪たちの切りあいですよ。歌会なんてとこは。

ひええ、そんなおそろしい、と口ごもっていたら
先生お察しくださったのか
「座ってるだけでよろしいですよ。歓迎します。」と優しい物言いでお誘いいただいた。

おめにかかりたい一心で
先生主宰の歌誌の会員になることになりました。
なんていうご縁かと思う。

1年分の原稿を11月に送っていた母。
今年の12月号まで
誌上で母に会えます。

斬り捨てられないようにそうっと見物だけしてきます。
実家の処分をするのに
叔父さんとちゃんと話をしたい。

半分は叔父さんの名義だ。
叔父さんの意志が大切だ、と思っている。

どうしたい?とおじさんに尋ねたいのだが
ここにイトコくんがはさまった。
「僕が長男だから。」「親父ははっきりしないし、施設だから。」

窓口がイトコくんでも別にかまわない、と思っていた。
高齢の親のサポートを子どもがするのは当たり前だ。と。

な、ん、だ、け、ど。

イトコくん、話しづらいぞ?


この機会に、この際実家は処分してはどうだろう。
叔父さんが施設にこの先もいるのなら、叔父さんのためにお金を使えるようにしたほうがよくないだろうか。
手続きも交渉も簡単ではないので、わたしたち兄妹の相続分だけ売却するよりも、
現地いるわたしたちがまとめて取引をすすめたほうがよいのではないか。
売却したら名義分をちゃんと振り分ければ問題ないと思うがどうか。

というふうに
わたしとしてはなんの魂胆もなくとっても良心的に話しているつもりなんだが

どうもイトコくんは、わたしたち兄妹が「サギ師」に見えがちらしい。
うまいことゆって、オレの財産をどうにかするつもりじゃないのか的な言葉を
ときどきうっかり言うんだなこれが。

トホホ。
こんなところに「関係の貧困」が。

おにいちゃんに、「心が折れたよ。」と電話で話したら
兄「あっそう。そっちがそうならこっちもやったるでぇ~~~いひひ~」
妹「やーめーてぇぇぇ~。」
と、いちびりだしたので
居住権をたてに実家総取り、とかヤラシイことをしないうちに
叔父さんに会いに千葉へ行ってきます。

あっちもこっちも面倒を見ないかんとこが多すぎるのでないか。
面倒見委員会か。

とほほ。






というように、
年末からわが子たちのことはほったらかし気味、というよりも
子どもたちに支えられてよれよれと1月を過ごしたわけですが

おかげで
冬休みの間に徹底的にやるはずだった
英語と数学の基礎固めを
まったく見てやれなかった結果

冬休み明け実力テストで英語37点をとってきました。(ミー・アイ、チロ・中2)

ぐ がはぁあっ と母は軽く吐血しそうです。

本人もさすがに血の気が引いたようで
受験生の兄よりも机に向かう時間が長いこの頃。

すっぽりと迷宮に入りこんでしまわれたので
解きほぐすところから
そばについてやらねばなぁ、と
いっしょに本屋に行って、わかりやすい参考書を選びました。

さあ、ここも立て直し。
あっちもこっちもたーいへーん。
金曜日にPTAの人権講演会があった。
貧困について、路上生活者支援NPOさんのお話を聞きました。

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普通の人が路上生活者になるとき、階段を一段ずつ落ちてゆく。

仕事をしていたのに失職。
仕事の階段を一段落ちる。
セイフティネットは雇用保険・労災保険。
雇用保険が切れた時に失業扶助がないので、ばりっと破れてネットから転がり落ちる。


職がないから年金や健康保険や介護保険の保険料が払えなくなる。
健康の保障がなくなる。体が悪くなるとどうにもできない。
健康の階段を一段落ちる。
ここにセイフティネットはない。


体が悪いから仕事ができない。
家賃が払えない。滞納。ローンの破たん。家がない。
住居の階段を一段落ちる。
セイフティネットであるはずの公営住宅はくじびきであたらない。家賃の扶助はない。


貯金が尽きる。借金をはじめてしまう。
金銭の階段を1段落ちる。
最後のセーフティーネットが生活保護だが捕捉率は19%だそうだ。
どすん、と底に落ちる。そして野宿。


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貧困の階段は下り階段だけ。
落ちてしまってから元の位置に戻ろうにも上り階段はなくて高い壁があるだけ。
だから上るのが難しい。
だから上り階段を作ることが「支援」。

生活保護の申請を手伝う。

家賃が払える状態になった。

入居の保証人になる。

住所ができた。

仕事探しを手伝う。資格をとる間の生活保障をする

生活を立て直して保護しつつ「関係の貧困」を解決する。

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現代の貧困は
「経済の貧困」と「関係の貧困=社会的な孤立」の複合。
経済的な貧困の根は関係の貧困に由来することが多い。
自分の居場所がない貧困。
家庭が居場所ならない「虐待」
学校が居場所にならない「不登校」
社会に居場所が持てない「ひきこもり」


失業して、行政からも放置されても家族が助けてくれた。
うちにはおかあちゃん(専業主婦)がいて、
「家族福祉」が大きく働いて家族を支えていた。
社会は変わって、家族も変わった。

国家の失敗は行政が生活保障を回復させて対抗する。
市場の失敗はまともな雇用を回復させて対抗する。

でも、家族の失敗は回復の見通しがない。
家族以外の互助関係が必要になる。

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1993年一人の高校生が親の借金で高校を中退した。
両親は失踪。助けてくれる人は誰もなかった。
短期労働を転々として1999年、池袋で通り魔殺人の犯人になった。
2008年、死刑判決が出た。

1993年一人の中学生が親の借金で家族解散を宣言された。
父親は失踪。3人兄弟の末弟は公園で暮らした。
事情を知ったともだちのおかあさんが、助けてくれた。
地域の人たちが3人兄弟に家を借りてくれて、生活費を貸してくれた。
1999年漫才コンビデビュー。2008年、「ホームレス中学生」がベストセラーとなった。


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経済の貧困の階段を落ちてゆく前にできること。
上り階段を作ること。

まさかとは思ったが 身近に。身内に。
下り階段の前でふらふらしているのがいようとは。

そっちじゃないよ、こっちだよ。
手伝うから、いっしょにがんばろう。おにいちゃん。
金はないが、心は豊かだ。


あのテレビ

2010年1月30日 日常
おかあちゃんのお葬式のあと
2000円値切って買った29インチのテレビが
リコールに当選しました。

パリって割れてた外装にいちゃもんつけて2000円値切ったのに
(ああ、今思い出しても身が縮む。なんであんなことしたかわたし。)
その外装が不具合だそうできれいな部品に交換してもらえるそうです。

おにいちゃんはその記事をネットで読んで
「ヤホー」とサンヨーに連絡して
さっそく修理に来てもらうそうです。

「あんな、おまえが値切ってくれたやん。テレビ。
 あれな、うふふふふふふふ。リコールやねん。
 8000円やったのに。
 いひひひひひひひ。新品。うははははは。」

笑いが止まりません。

「よかったよなぁ。おかあちゃんにお礼言うときや~。
 おかあちゃんがなにかねじ曲げてくれはってんで。」


こんな末恐ろしい状況でも
ああやってごきげんさんで明るく「なんとかなる~ぅ」と暮らしておられます。

笑ってる場合ちゃう、と首吊ったりしないノーテンキさが
おにいちゃんの一番いいところ。
そんでしかも、なんとかなるのよね。これが。


去年暮れから1月初めまでのケータイ料金が出た。

げ。なにこの通話料。
家族でしか話すことがないからと、オプションの他社割引をはずしていたのがまずかった。
兄のドコモケータイとの通話が7000円を超えている。
他社通話ふだん300円以内なのに。

だからといって、
「もう電話しない~」というわけにはいかない。

おにいちゃんは実家にぽつんとひとりきりだ。
毎日用事があってもなくてもたくさん話をしたい。
そのために電話があるんだもの。

子どもたちのケータイをひとつ奪って送るか、とも考えたけれど
一番取り上げられそうなマルたんが涙目になってきた。

マルたんが大事に持ってるケータイは
実は先月まで母が使っていたものだ。
大事に持ち歩いていてくれてこれで毎日電話していた。
電池パックに不具合が起きて、
わたしがこちらで修理をしてる間に母は亡くなった。
うん。このケータイは、手元に置いておきたいよわたしも。ね。

とりあえずソフトバンクショップに行ってみる。

まずは料金の確認。
このオプションは外せる?
この料金単価の違いはなに?
ここからまだ節約できる料金形態ある?

ひととおり、料金節約に納得できたので、
節約分で新しいケータイを1台契約した。

おにいちゃんの誕生日の入った電話番号にしてもらって、
24時間通話無料の電話ができた。
ソフトバンク同士の会話とメールだけなら、月々の支払いは1500円以内だ。

妹「おにいちゃん、ケータイ、1台送ったからね。
 それで電話しよう。
 ドコモは早く解約して。日割りで請求が来るから、その分節約しよう。」
兄「えー、でも、仕事の電話が来るかもしれへんやんけ。」
妹「番号変わったって通知出したらええやん。」
兄「えー、でも、受信しかせえへんからドコモたいしてはらってへんで。」
妹「それでも2000円くらいにはなるはずやん。」
兄「たいしたことないやん。」
妹「・・あのな。わたし、その2000円をおにいちゃんが食べるために使ってほしい。」
兄「2000円やで。」
妹「2000円あったら4日は食べられるで。無駄なものに使わんと、生きるために使ってよ。」
兄「そやけどなー。仕事がなー。」
妹「メインのメールアドレスさえ死んでなかったらええ。」
兄「そやけどなー・・・またかんがえ、」
妹「あかん。早く解約してきて。もったいない。
 仕送りでけへんぶん、こんなふうに毎月助けよと思ってしてんから、はよ解約。」
兄「んー・・・んー、そうかなぁ」

イーーーーーーーーっ

兄「で、そのケータイはソフトバンク?」
妹「うん。」
兄「・・・・それって、iphon?(ウキウキウキウキ)」



・・・・・・いや。確かに一瞬考えた。
喜ぶだろうな。iphonだったらと。
だがな兄よ。
妹はそこまでアマくはないのだ。
どちらかというと今は鬼妹なのだ。

2年たって、契約更新時期になって、
おにいちゃんの人生が立ち直ってたら
お祝いに買いかえてもいいよね。
それまでは
一番安いサムスンで充分じゃあ!


翌日届いたケータイは
意外にカッコよかったためか大変よろこんで
兄「ちゃんとホームページの問い合わせ番号も変えとくわ~」と電話がかかってきた。

これでタダ友になったから、ゆっくりしゃべっても大丈夫。


ぬふふふ。
これから ゆっくり お説教できます。(鬼妹)
査定サイトで見つけた業者に
土地の査定を依頼してみた。

大手6社
地元1社

その日のうちに電話がかかってきたのが
・みずほ
・UFJ
・住友
メールが来たのが
・東急リバブル
3日たっても連絡のないのが
近鉄と地元

査定フォームには、土地の住所しか記入していないのに
大手3社はいずれも地番を調べて
電子登記簿で土地の確認をしてから電話をかけて来た。
土地の名義、㎡数、建物の名義、建物の築年数を正しく把握してから
査定のために詳しい話を聞かせてくださいという電話だ。


【みずほのつかみ】
母が亡くなって相続した土地なんですが、というわたしの言葉に
「・・・・そうでしたか。いつごろおなくなりに?たいへんでございましたね。」とお悔やみ。

不動産屋にお悔やみ言われるとは思わなかったので「いい人じゃん。」とか思う。
土地の取引の話だけでなくて名義人の話を軸に親身に話を引き出す営業のおにいさん。

もちろん、どういう曰くの土地か、
売却連絡をした私がどういう関係人か、まともな人間かを確かめているんだろうが
「ご実家ですか。売主さんにとっては大切な土地ですから、
よく調べて査定をはじめさせていただきます。」なんてさらっと出てくるあたり
都会の営業はこなれてるよなー。

う、うまい。
★★★★☆


【UFJのつかみ】
「ボク実は去年までご近所の銀行の不動産部にいたので、あのあたりの土地はわりとよく知ってるんです。」
土地勘あり宣言です。
登記された合計の㎡数や3面が道路、駅徒歩1分てとこから、「まずはざっくりですけど、」と
相場の金額は坪20万~25万てとこだと思うんですよね「ボクとしては。」

ボク個人としてはよい土地なので相場~の値段だと思うとつかんでおいて、
「でも、広すぎるんです。」だから業者買い取りが近道です。と、方針を提案。

気さくなしゃべり方で、ポイントを押さえたリードです。

うまいなぁ。
★★★★☆


【住友のつかみ】
「電子登記取り寄せて調べました!」と元気なおっちゃん。
登記簿上の不明点をいくつか質問した後、わたしの話になる。
名義人と性が違うわたしが何者か、ということだ。
居住人の妹で名義人の娘で相続人で、嫁ぎ先が建築と不動産屋だとなめらかに聞き出して
「いっぺん現地みてきますわ。それで、他社さんとの査定を比べてください。他社さんまだなんもいうてきてません?」
と、さりげなく専属契約の動向を確認です。

あっさりした言い方で必要なことはみんなさらえてゆく要領のよさよ。
うまい。

★★★★☆



不動産業界は波風がきつい。
資格がものを言う業界じゃなくて
度胸とセンスがあって渡ってゆける業界だもの。

都会の不動産業界で食える営業なんていうのは
いい加減な奴なんかいやしない。
会社の看板役者のような営業さんたちでした。


のんびりしたいなかの建築会社の営業(それも専務待遇)に語って聞かせたら
「うえー、お悔やみ言うの!あぁ。そう。すごいなぁ。」
「ああ~、さらーっと業者売りの話も出すんや~。ちがうなぁ。」

・・・・いや、感心してんと、アンタもそういうキメの細かい営業を。

「そんなんな、大阪の大手不動産屋やで?トップクラスに決まってるやん!営業なんて!」
「会社の教育が行き届いてんねん!ていうかアカン奴はそこへ座らせてもらえへんねん!」

言いまつがいの多い、不思議な言葉のつなぎ方をしてしまうヒゲくん。
あなたの勉強のために、わたし、窓口を替わってあげてもいいのかも。
ものすごく勉強になるよなぁ。

なんていうの?
相手が安心してしまう引き出しをたくさん持った、緩急自在で軽快な心のないフリートーク?
大事よね~。
がんばってね、ヒゲくん。営業の基本よね。

じゃ、ちょっとPTAに出かけてくるから。
と家を空けている間にまた不動産屋から電話があったらしい。

ヒ「おかえりー、不動産屋からでんわあったでー。」
わ「ありがとう。どこから?」
ヒ「んー、わからん。」
わ「は。」
ヒ「坪単価20万位ってゆうてたで~。」
わ「・・・どこのだれが。」
ヒ「・・・・んー。わすれたー。」






・・・・・・・・・子どものおるすばんですかっ!


あやうし、ヒゲ建設。


2010年1月29日 日常
どうしようおかあちゃん。
おにいちゃんはどうやら
怖くて動けなくなってるように思うんだよ。
そうだろうと思う。わたしだって怖いよ。
家を売ろうにも、知らない土地へ移ろうにも、
どこかへ働きに出ようにも、バイトを探すだけのことでも、
おにいちゃんは足がすくんでるんじゃないかと思うんだよ。

動き出すことができないから
動き出さない理由がどんどん増えてくの。

どうしよう。
どうしたらいい。

おかあちゃんの写真に朝のお水をあげながら相談したら
「あんた以外にだれがやんの。はよ動き。」と声がした。
人使いは昔から荒い母です。

兄だから。
男だから。
なんてジェンダーをわたしの逃げ口上にしてる場合じゃない。

おにいちゃんが
これからの人生を幸せに生きてくために
ワシがやらねば誰がやる。


妹、起動しました。
施設に暮らすおじさんのためにも
相続を済ませて土地の売却をすすめなくては。
と、いく度相談しても
「うーん、まだおちついてからでないと。」
「いやいや、実際相続が全部すんでから。」
などという兄。

土地なんて、簡単に売れるものではないよ。
とていねいに説明してみるが
「わしのすむとこがなくなるやんけ」という。

それは、あなたがどこに住むか決めて自分でするていうてたやんか。
関東へ行こうかとか、土地の処分が終わるまで市内で賃貸借りようとか。
・・・あてが、ないのか。もしかして。

むむ?むむむ?とゆっくり尋ねた結果をまとめてみると

仕事の収入がない。
ややこしいことひとりでようせん。

ということらしい。


「そんでなぁ、京都の骨董屋に【柿右衛門の壺】売ろうと思ってメールしてんけどなぁ、
あれ、作家の作品ちゃうから、そういう骨董屋には売れへんねん。
どうしようかなぁ。」

「掛け軸もなぁ、いろいろ出して見てんけど、値打ちがわからんねん。
誰に見てもうたらええやろ。掛け軸屋、てあんのか。」



・・・・・・・・。
あ、そう。

ひとときでも、
「お兄ちゃんだって男だもの。大人だもの。いろいろ考えがあるに違いない。任せておこう。それも自立の第一歩よ。」
と思ったわたしが至りませんでした。


バイト探せ。
今すぐ働け。引っ越し代を稼げ。
ハローワークが態度悪いのは知ってる。
ハローワークが嫌ならコンビニの深夜バイト募集の張り紙を探せ。
駅の無料バイト誌もらってこい。

近所に賃貸を探すからここに来い。来て働け。
実家の中のものを勝手に売るな。
不動産の売却はわたしがする。
ドコモケータイも解約しなさい。ソフトバンクケータイを1台送る。以後の連絡はそれでしろ。


わたしから一切金の仕送りはないと思って自活するんだ兄よ。





ていうか
あ ん た 兄 で す か っ






うへえ~ん。(泣)



とはいっても
やっぱりおにいちゃんだから、ほうっておけない。
あんなでも。

下は、苦労するぜ。
相続関係の書類が整った。
忌明けになる2月に手続きをしようと思う。

四十九日のお祀りごとはしないことになった。
お坊さんの読経のかわりにわたしが般若心経を読んでおくのでよしとしておくれ、おかあちゃん。

一事が万事、自己流だ。

毎日 朝おはようと声をかけて写真立ての前のお水を換える。
夕飯のときにはわたしのビールをおすそわけ。
切干大根がじょうずにできたら おいしいよ、といってお皿に盛る。
ハルさんのおやつタイムにいっしょのように、おかあちゃんにもあげよ、とおやつを供える
小さなガラスの花瓶を買った。仏花じゃない花を写真のそばにふんわり生ける。
お線香を立てる容器がないのでときどき短いお香を焚く。
ラベンダーやレモングラスやローズやコーヒーの香りで和む。

おかあちゃんの居る生活。

こんなお祀りでは、よくはないんだろうけれど
これでいいのだ!とおかあちゃんはニヤニヤ笑っている気がする。


余熱で十分

2010年1月20日 日常
年度末が近づいてきて
子ども会の役員だのPTAの役員だの
ゴタゴタがわしゃわしゃーと降ってきた。
かまびすしい。

「だから、どう思う?」なんて困り顔で言われても
どれもこれもみんなまとめて「ぞうさもねえ」って感じだ。

そういうのみんな、パワーの使いどころでは、ないです。
来年のママ役員的なことは、余熱で片づけようっと。

実家

2010年1月19日 日常
父の実家の親戚筋から電話をもらった。
従姉にあたるおねえさん。40年ぶりです。

父の兄夫婦が、父の実家に住んでいたが
二人揃って老人ホームに暮らしていて
あの大きなお屋敷は空き家だそうだ。

実家がなくなるのは、娘にとってつらい。

63になったおねえさんは、3時間がかりで月一度実家の手入れに行くそうだ。

「実家がなくなるのって、つらいですよね。」というと
「そうなのよね。あっても仕方がないとも思うけど。やっぱりね。」となぐさめてくれる。

その父の実家も、そろそろ処分を、という話になってくるようです。

ああ。実家と呼べるところがどこにもなくなっちゃうんだなぁ。
時代ってそういうことなんだものしょうがない。
でも帰る場所がない嫁ってのはちょっとだけ心が折れるよ。

兄よ

2010年1月18日 日常
毎日兄に電話をしているが
「今日は古いシンセサイザーを売った。」
「ピアノを売った。」
「CD売った。」
「本売った。」
と、なんやかんやうちの中の処分をはじめてくれている。

と、思ってたんだけど。
「これが、結構金になる~ぅ」

・・・・・待て。兄よ。
働く気が、失せてないか兄よ。

このまま家を漁って、即金の凄みに溺れてしまったら
コイツの老後お先真っ暗やーーー・・・

「待てえぇぇいっ。売ってもいいけどそれは引っ越し代金ですっ」
「仕事で食えんのならハローワークにゆけい!」
「生活保護申請の手立ても考えていいかも、とか、心配してるのになんだそれはっ。」
と、50過ぎのおっさんに小説教しまして、
府民(県民)共済に入らせることと、借家探しを始めることを宣言しました。


実家を処分したお金で
一生遊んで暮らせる~ なぁんて ユメのようなことを考えてたらどうしようあのバカ

おかあちゃん、ちゃんとこっちにも 宿題いうとかんと。



宿題

2010年1月17日 日常 コメント (2)
2009年6月19日(金) 毎日新聞夕刊の切り抜き。
「新幸福論」生き方再発見(インタビュー記事) 編集者 小宮山量平さん

赤線が引いてある。引いたのは母だ。

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(編)現代も難しい時代です
(小)労働体系の崩壊ですね。働くということがどういう意味を持つのか、あらゆる職場で労働者が派遣だニートだと、いつでも首にされ、放り出される。就職したからにはそこで一生懸命に根を育てて人間として職場と一緒に成長しようという健全な体制から放り出されてしまう人たちがいる。
年間に3万にもの自殺者を出し、それと並行して、男、女、共通して結婚に逃げ腰となる。本来ならば子どもという形で次の時代を作りだす希望の芽を自分でへし折ってしまっている。
こういう風な状態で、希望とか幸福とかを考えるのは非常に困難だと思います。

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(小)93歳になってみますとね、ありがたいことにだんだん世の中の端末のごたごたは見えなくなるけど、動脈のような太い管が健康な状態かどうかは心に響く形で見えてきて、それが健康なら世の中捨てたもんじゃない、いつかはちゃんと良くなるという気がする。

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(小)むちゃくちゃな労働体系をはね返す思想として今なにが大切か。僕は雇用や社会保障の立派な制度を作り直してくれということではないかと思う。逆に我々の中の出世する思想を根こそぎ取り去る。別の言葉ではニヒリズム。人間が素っ裸になる思想の一番太い動脈はなにかというと、幸徳秋水もそうですが、出発点はアナーキズムだった。今こそ「出世」というものを考えない本当の意味の無政府主義の思想の根源的な姿を見つめる必要があるのではないかと思うんです。

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(小)絶望はまだ早すぎる。幸福論にしても時間をかけるということです。せっかちにならない。


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母の手紙はびんせんに3枚。いきなり言いたいことから始まる。

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 ここまでアナーキーにならなくも良いけれど、竹中元長官の言っていることは、借金など重いものは極力整理して
(追いつめられない先に)身軽になって、
自分と家族が食べるだけをゆとりを持って働きなさい、ということではないのかな。
 貧乏はちっとも怖くないよ。
わたしは芋と切干大根にウマイ菜ばかりで月一度目刺しを食べたくらいだった。 
けれど十七歳で一六三、体重は50kgを超えた。食べ物ではない。 
といって精子が渡したDNAがすべてとも思えない。 不思議すぎる。素晴らしすぎる。
子どもたちがあんたに宿った時のことを思ってみてもそれは言えるよね。
わたしはどうやら宇宙の生命の循環はこんな風になっているんじゃないかと思うしかないよ。
それに乗ってゆけば良いんだよきっと

あたふた働いて僅かばかりの贅沢をして
腐敗臭漂う国に税金を納めるなんてバカバカしいよ
自分たちのためだけに楽しく働こう。
今日点滴を打ちながらテレビを見ていたら仲代達哉が色紙に
「人に優しく 自分に優しく ニヤニヤ笑って生きてゆきたい」と書いてニヤニヤ笑っていた。
がんばらなくていいんだよ。つつましく暮らしたら充分だ。

 私はそれでも両親に守られ甘やかされて人生前半はバカなお嬢様だった。
後悔しても七十年取り返しがつかない。お嬢様に人間としての完成なんかないように思う。
私は後半の人生にかけたけれど、今もややバカだ。

あんたは違うようだけれど、それはまたそれで落とし穴もあることだろう。
人に優しく自分にも優しく ニヤニヤ笑って生きてゆくのがいいかもね
クソマジメはいいことない 喘息になるよ

物や金に振り回される時代が終わりに近付いているのは先進国の一部で、
中近東なんかはこれからまだ荒れるかも 
私は三菱兵器で学徒工やっててロクに勉強してないから大変だ。
あんたは私よりもっとよく理解できるでしょう
目配りして、かしこく進んでください。

   取り越し苦労のお母ちゃんより

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去年の七月に届いた手紙。
これが宿題。

ジャージ

2010年1月16日 日常
ハルさんの保育園の制服の採寸とお道具購入に
直近のOBのマルさんと3人ででかけてみた。

制服は一応一式そろっている。
使いまわされてきたものだから
傷みのひどいものだけ買い換えよう、というつもりで来たのに

むう。
体操服、一新されましたか。
FILAですか。そうですか。かっこいいジャージですね。
・・スタジャン一枚 ごっ、ごせんはっぴゃくえん!!
幼児なのにオトナ値段。

体操服だけは、汚れも痛みもひどいので買わねばいかんという覚悟ではいましたが
中学校のジャージよりも高いのにショックを受ける。
先生が「古いので来てくれてもいいのよ。」と顔色をうかがってくれます。

ただ、これが。
ハルさん、似合う~~~♪(バカ親)
うわあかわいい。うわあかっこいい。うわあ。うわあ。



夏冬一式買いました。





実家を処分するには相続をしなければならない。
相続をするためには母の「生まれた時から亡くなるまでの」ひとつながりになった戸籍が必要だ。

大阪の実家をスタートしてさかのぼる。
従前戸籍のある本籍地の役所に電話をかけて事情を説明して郵便で小為替を送る繰り返し。
大阪→岡山→大阪→長崎→名古屋→東京 で、ゴール。

最初に法務局に相続の相談に行ったら
「行政書士に頼んだらどうですか。」と言われたが
めんどくさいだけで、特に難しい作業でもないので
自分でやることにした。

こういう行政への提出書類だの手続きだのに、
ちょっとした法律知識を持った代書屋さんが重宝するんだ、と実感する。
たしかに手続きにいろんな横穴があって最短距離がわかりづらい。


なるほどなぁ。行政書士か。
勉強してみるかな。

ハルの保育園が突然、市の認可保育園になることが決まってしまい、
23年度からは就労届けがないと利用ができないはめになってしまった。

母の就労あるなしにかかわらず、就学前保育・教育の場としての保育園が必要なのに
とうとう手近に専業主婦のおかあさんを応援してくれる園がなくなってしまう。
やな感じ。
これについてはちゃんと市と園にまっとうに働きかけちゃうつもりでいるけれども
それはそれとして「母からの宿題」の時間がきたようにも思う。

母は個人事業主だった。
廃業届けを出しに行って、「え。こんな紙一枚で開業OKなのか。」と目からうろこだった。

できるなぁ。
こりゃあ、誰でもできるなぁ開業。と納得したのだ。
実際、兄は、母の廃業届を書いたあと、同じテーブルで自分の開業届けを書いていた。
事業の内容には「WEBデザイン」なんて書いていた。

んー。いいのかそれで。
税収の道さえ通ればそれでいいのか税務署的には。なんだかなぁ。


しかし、いろんな道が示されたようにも思う。
行政書士の資格をとって個人事業主になって、保育園に就労届けを出す。
ってビジョンを描いてみました。
できるとこまでやってみよう。 
母の友だちからお悔やみの電話をちょうだいした。
弔問担当は長男の兄がわけがわからんというので、妹のわたしが引き受けている。

11月の歌会でおめにかかったときはおかわりなくお元気でしたのに、とおっしゃる。

アララギのみなさんは、歌づくりの幹が「現実を見据える」にあるので、
そういう生き方をされてる方が多い。
ひねらず、抑揚をつけず、素直に受け止めて、
思ったままをごまかさずに表現してこそだ、と心がけておられるわけだ。
(まあ、だからこそ、世の中を斜めに見がちな人ばっかりだともいえるわけですが:笑)

なので、屈託なく
「ありがとう、といって、すーっと眠って、息がなかったそうです。
母らしい見事な最後だと思いました。」
と伝えると
「ほんと!それはほんとに理想の死にかただわ!さすがだわ。」
と返ってきた。

そのあと、母と同じように短歌会の人間関係の愚痴を聞いたり(笑)
それを母に言うようになぐさめて励ましてみたり。(笑)

どんなに年が離れていても
通じ合えるひとを遺していってくれたなぁ。おかあちゃん。

葦に流水模様

2010年1月12日 日常
小正月が終わった。
寒中見舞いを発送しよう。
郵便局に切手を買いにゆく。
弔事用の切手を125枚買った。

幼児のためのプレイゾーンが充実していて
用事がすんでも帰れなくなってる親子連れが多いこの郵便局は、なにかと親切だ。
大量の切手の上手な貼り方もレクチャーしてくれた。

ハルさんがまったりとプレイゾーンで遊んでいる間に
ソファーセットを借りて切手貼り。

弔事用の胡蝶蘭のハガキを買おうとしたら、インクジェット紙がない、というから
無地の私製ハガキを買ったんだけども
どうせ白黒印刷ならインクジェット紙でなくても充分なんだよね。きっと。

そんなこと考えながら切手を貼り続けていると
年賀ハガキを束で抱えたおじさんが
「これを、喪中ハガキにかえてほしい。」とやってきた。
言葉少なく途方に暮れた感じのおじさんに
局員さんが、弔事用のハガキはこれですが、ああやって(→わたし)切手を貼る方法もあります。
全部弔事用に換えずに、普通ハガキにしておいたほうが便利かもしれませんよ。
今からだと寒中見舞いになりますよ。こんな文例を参考になさってくださいね。と
細かくレクチャー。

おじさんは500枚の年賀ハガキを書き損じとして
500枚の弔事用ハガキに換えてもらって帰ってゆきました。
あんたもかー。て顔をしてわたしを見るので
わたしもですー。てほほえんで見送りました。

ね。おじさん。わかります。呆然としちゃいますよね。
年賀状、用意してあったのに。
でもこういう事務作業を間をおかずにできるのは
痛みが紛れてありがたいですよ。


さて、わたしも残りヒゲくん分の250枚は、胡蝶蘭ハガキ買うことにしようかな。
彼の住所録が、整理できてれば、の話だが。

写真を作る

2010年1月11日 日常
おにいちゃんは早々とお線香を絶やしてしまったらしい。もう。
だって、出かけるときに火ぃついてたらあぶないやんけ。と言う。
そりゃそうかもしれないけども。

せめて毎日お水だけはあげたいよ。

大事な人を偲ぶのに
お仏壇やお位牌もない。
それどころか写真もない。

せめて写真一枚あれば、よりどころになるのに。

せめて写真を一枚ください~、と兄に頼んでみた。
なんだか昼ドラの愛人ぽいです。愛人てたいへんね。


ところが、ひとりで写ってる写真がない。
誰かと必ずいっしょ。
人気者だなあ。

WEBに上げてもらった写真をダウンロードして
よさ気な角度の写真をトリミング。
やさしい色合いの背景もつけて、いい按配にお写真ができました。



リビングに写真を飾って、
夏にもらって帰ってきた九谷焼きのお煎茶茶碗にお水を注いであげたら、
おはよう、を言う場所ができました。



泣きだす

2010年1月10日 日常
辛抱するクセが邪魔をして
ときどきゆるんで泣き出しそうになるのを
こらえてしまいながら暮らしていました。
胸骨が痛い。
痛い痛い。いたたた。どうしたらこんなとき。


泣いたらよい。
と ぼんやりわかっているのに
なにか、どこかに鍵がかかっていて泣き出しそうになるたびに
がちん、と涙にロックがかかる。

泣くには
どうしたらよいの。

などと 少女でもあるまいに こんなことがわからない。


甘えたらよいのだよ。
と、灯りが見えた。


ああそうか。明快。
母に甘えればよいのだ。
おかあちゃんに。
子どものときに痛いようと泣きついたように。

悔むことがいっぱいあるよ。
聞きたいこともいっぱいあるよ。
おしゃべりしたいよ。
見せたいことがいっぱいあるよ。
見ててほしいこともいっぱいあるよ。
できなくて、痛いよう。おかあちゃん。


やっと 鍵が外れて 泣きだせました。

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