サンタふたたび

2007年12月22日
我が家ではサンタは卒業したはずだったが
今年からハル限定復活したもんかどうか悩んでおります。

「ハーちゃんだけ、サンタさんにお願いしようかなぁ〜」
と言ったら、
「いいんじゃない?」と兄姉からありがたい返事。

ヒゲくんがそれを聞いて
「みんな、ハルには言うたらアカンで。サンタはほんとはおら」
大慌てでさえぎって
「なにゆうてんの?サンタはほんとにおるやんか?」
と眼力で余計なこと言うなバカタレと訴えてみました

「・・・おるよな。うん。」

「信じてないんやー。信じてないからヒゲくんなんももらわれへんわ〜。」
「おる!おる!」
「信じてない子のとこには来てくれへんのに〜。私のとこには来てくれるわ〜。」
「おる!おる!ボクもなんかほしい!」

ヒゲとハルにサンタはなにをくださるか楽しみですな。
年末ジャンボ宝くじを買いました。

いつも子どもたちに「買っておいてよ」と頼まれるのに
普段買いつけないもので毎年「ああ、今年も買わなかったねえ」で終わってました。
宝くじ売り場のおねいさんが、お釣りと宝くじを差し出しながら
「あたりますように〜」と言ってくれるのがなかなか素敵でした。

たまにしか買わないのに買うと細かく当たるのが宝くじの楽しいところ。

毎日買った宝くじを粗末にせずに拝むといい、と聞いたので
2億もいいです、20万でいいです。と拝むことにしようと思います。
ブルーレイハンディカム用だ(笑)
ぶわはははははははっ!!

紀子様とわたしは誕生日2ヶ月違い。
ひーちゃんとうちのはーちゃんのお誕生日は20日違い。

おんなじ症状で
つい2週間前に整形を受診して
「育児放棄するか、子どもが育つまで治らんわい。」と
先生に言われてきたとこ。

低周波のリハビリを続けてやってみるか?と先生は勧めながら
「でもそんなヒマないわな。」と切り捨てやがったワイ。
キィー

ロイヤルさんちもがんばってるなぁ。

めもをめも

2007年12月13日
マルたんが朝になってから「メモがいる」という。
んもー、と引き出しをひっくり返しわたしのチョコチョコ書きメモを渡しました。

何ページか破りとった部分に
どこかで何かで読んだ文章が書きとめてあって
これこのまま捨てたらもったいないなぁと思ったので
なにからの引用かわたしの感想なのかよく覚えていないままちょっとここに書き写しておいたりします。

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人間は恣意的に結びつくインフォーマルな関係だけでは生きていけない。

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職場は異質の人たちが共通の目標を達成することを義務付けられていて、人為意的なチームが編成されている。
異質な人で、しかも感情を持った他者を動かし、協力してもらうためには、その気にさせるふさわしい対話が不可欠である。

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豆腐とエビのチリソースいため
木綿豆腐を水切りして小麦粉つけて、塩コショウで、揚げる
チリソース ネギ、にんにく、しょうが、トウバンジャン トマトケチャップ、砂糖、酒、酢、鶏がらスープの素、水、片栗

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親自身が学校と協同して我が子の子育てに責任を負う「保護者」の立場に立ててない。
うっかりすると我が子と「一体化」して対応する。
?社会、地域のコミュニティ崩壊。一人ひとりが孤立しながら我が子と向き合っている。
子育てに一人で責任を持たざるを得ない。
学校からの我が子に関する指摘に対しても過剰な反応を示し自分を守ろうと身構えてしまうようだ。
?親の学校体験80年代暴力やいじめのピーク期。学校と教師への不信感を抱えている。
?急激な教育改革
規制緩和と自己責任のもと、親は選択という厳しい目で学校をとらえる。

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コミュニケーションスキルに大きな弱点を抱えている現代の子ども。

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赤ちゃんの健全な発育

抱くことで抱いた人の心も癒されていく、という実感が伝わってこないことには、赤ちゃんは安心できないのです。
愛を与えられるだけの存在ではなく、愛を与える存在としての実感を求めているのです。
自分には寄り添い受け止めてくれる人がいる。
この安心感、人がその人生を安心して楽しく明日への期待に胸を膨らませて生きていくために、生涯にわたって欠くことができないものです。
見捨てられる心配がないからこそ、自分のために自分をコントロールできるのです。
どんなことがあっても、自分を理解してくれる人がいるから我慢できるのです。
絶望の淵に立たされても、再び勇気を持って立ち上がれるのは、安心して頼れる人がいるからです。

健全な人間関係の基礎とは、「安心して人に頼る、助けを求める行動」から出発しているのです。

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たすけてって、どうしていえないのか。
?自尊心が傷つくから
?世間の目
?助けを求めておいてあなたの言うとおりにできませんと言えない
?迷惑では?という重荷
?できれば自分ひとりの力でやりたい

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にらタマみそ汁

厚揚げのチンジャオロース

豆腐と鮭のチゲ

いりどうふ 木綿豆腐1丁に鶏ひき肉150グラム

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滞在型観光

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エコて

2007年12月6日
エコフィード

て言葉をラジオで知ったよ。
人間の食べ残しを液体や粉末にして養豚に使うことで
実は 残飯飼育といわれていたものを改めたそうな。

なんでもかんでもエコ。

耳障りのいい言葉にして、環境にやさしいよーな言葉つくりをするのが増えてきて
わたしのようにそういう経済の仕組みの末端でお買い物をして
家族に「体にいいご飯」を作ろうとしてるお母さんには
なんというか ちょっと やりきれないんじゃないかしら。

出来合いのおかずを買わずに
冷凍食品を弁当に詰めずに
だしの素も使わずに
旬のもので 薄味で バランス考えて 栄養価も考えて
消費期限も賞味期限も嗅ぎわけて
毎日ご飯作ってんだけどなぁ。


ハルが生まれて
モックンが「ビオレママなぞとんでもない!」
赤ちゃんの皮膚に毒を塗るようなもんです。
環境保護からいっても
界面活性剤のいっさい入ってない石鹸でなきゃいけません!
と主張したため(あなたはパパさんですか)
(モックンの)吟味の結果、
我が家の洗剤は食器から洗濯、風呂場まですべてサラヤのarauになったりした。
特売洗剤買えなくて家計大打撃である。

でも
まず身体にいい
ひいては自然環境にいい
と 手間を惜しまず 特売をあきらめがんばっておりますのに

豚さんが食べるエサを
エコフィードという名前の
添加物いっぱいのコンビニの残り弁当で、「やっほう!エコだよ!」とやられては

うそだぁそんなのぉ〜〜〜
と口をとがらせたくもなります。

すくすくと子どもを育てたい
子どもがまた子どもを育てる未来がしあわせであってほしい
ていう軸がぶれて
資源のない国なんだしゴミでも食えるだろ豚くん!
トウモロコシ高騰しててもったいないんだよね!ていうのは 
もうエコじゃないと思うんだが どうよそのへん。

ネコチワワ

2007年12月5日
拾った子猫を大事に育てたのに
もらってくわね、と連れて行かれたような気分を味わって
ちょっとヤになってた例のチラシですが

データファイルを送っても
「ありがとう」のメールも来ないまま日がたちました。

あの子のこと、気にはなるけど
もう里子に出した子なんだから。
な気分です。

メールが来ました。

「今日事務所で直しました。
原作者さんにこんなになったと見てもらいたい。」

・・・原作者さんて、わたしのことか。
なんか ずれてはるなぁ・・・・。
キモチワルイです。

渡した子猫が、チワワになってるんじゃないかと
ドキドキしましたが先方の添付忘れで見ずにすみました。

ていうかデータファイル送ったのはどうなったんだろう。

郵便屋さん

2007年12月5日
バイクの音がして郵便屋さんがやってきた。
「ありがとー。」と声をかけたら
お兄さん、バイクからおりてきた。

「おくさん、年賀状はもう用意されました?」
「あ。まだですー。」
「よかったら、持ってきますよ。」

なんということだ。
郵便屋さんから こんなさりげないセールストークが聞けようとは。

「あ、じゃあ、お願いしてもいいですか?」
「はい。何枚にしましょう?」
と郵便屋さんは腰のポーチから伝票らしいものを取り出す。
「250枚で。」
「ハイ。250枚ですね。」

たいていの注文販売は注文者にも書く欄があるはずだと
ボールペン交代を待っていたら
「ありがとうございます。ボク、1週間ほどしたら持ってきますね。」
と伝票をしまってしまった。

「あ、あの、なにかわたし、名前かなにか書かなくても?」
「いいです。わかってますから。」
・・あ、そりゃそうか。

「お金は、どうしましょう?」
「ボクが持ってきたときでいいです。じゃ。」

さようなら〜。

それからしばらくたって油断していたときにおにいさんがやってきた。

「ハイ、年賀状、250枚です。」
「あ、うわあ、今ちょうど持ち合わせが足りないんですよ!
今度引き換えでいいですか?」
と慌てると、おにいさんはにこにこしながら
「いいです。いいです。お金はまた今度で。ボクまた来ますから。」
と束の年賀状を置いて帰ってしまった。

うそ〜ん。
タダでおいてかはった〜。

いいのか郵便屋さん。ざっくりしすぎとちがうんか。

ポチ袋に1万2500円を用意して待っていたのに
すれ違いが多くてなかなか会えない郵便屋さん。
年賀状を置いていってからまた1週間ほどした頃に会えた。

「ごめんね〜〜!!何度も来てくれてたんと違いますか〜!」
と申し訳なくおにいさんにポチ袋をわたすと
「ハハハ。毎日来てますから〜。」
あ。そりゃそうだ。

ありがとうございました〜と帰る郵便屋さんを見送ってから
もらった領収書と内訳書を見ると
どちらにも、うちの住所とわたしのフルネームがプリントされていた。

そうかあ。
住所も名前も割れてんだものなぁ。
逃げも隠れもできませんものなぁ。

・・て、世帯主のヒゲくんの名前じゃなくて
わたしのフルネームてのが仰天だなおい。

恐るべし。郵便局。

サイレント・セールスマンて感じ。
最強の顧客データを持つ営業マンをこんだけ抱えてる会社ってちょっとないぞ。すごいぞ。使えるぞ。
使う気があれば。(笑)

その後の赤福

2007年12月1日
365日停まることのなかった工場
ただいま総メンテナンス中だそうです。

伊勢では「賞味期限の講習会」も開かれ
「みんなで気をつけようね。」的な流れです。

晦日参りまでには復活するといいのにな。

おみやげに持っていく赤福にぐぐっと箔がつくことになって着地するんでしょうか。
やっぱり、商売うまいよ。

息子が文化祭用の壁新聞に、きれいなレタリングで
「赤福食べたいです。」「赤福を応援します。」とふざけて書いていて
あ〜あ、と思っていたら
クラスで流行ったらしく文化祭当日の壁新聞には赤福サポーターがいっぱい。

あ〜あ。

息子の壁新聞を読んで笑っていたら
オールバックのヤクザなご父兄が毛皮の姐さんと
「おう、これ見てみぃ、赤福食いたいて書いてあるぞ。」と談笑しておられたので
「あ、それ、うちの息子のですわ〜。」と声をかけてみたら
「そうなんや。エエこと書いてるで。大事なこっちゃ。」とほめられちゃったよおかあちゃん。

赤福サポーターは あちこちにすごく多い。

おもろい。
ダライ・ラマ「愛情と慈悲についてお話すれば―このふたつはわたしたちの言葉の中では本当によく一緒に登場します。―、いくつかの点でちがいはあります。まず最初に、男女間の関係について言えば、愛情は親密さであり、性的な欲望を伴う感情です。執着の感情に支配されている限りは、その愛情はよくない感情に分類される、とわたしたちは考えます。別のレベルで、例えば乳児とその両親の間でつむがれる緊密なつながりのような愛情や母性的な慈愛があります。これは情熱的な執着ではありません。母親は子どもに何も期待せず、ただその子に責任を感じ、なにごとにおいてもその子をしあわせにしようとします。この無償の愛情は、真の慈悲心に通じるのではないか、とわたしは思います。さらに突き詰めていけば、真の完全な慈悲心とは、自分の敵にすら愛情を感じるということに他なりません。真の慈悲心には執着心は少しもありません。つまり、目の前にいる相手が自分に害を与えようとやってきたことを知りながら、相手の悪意を止めるためにあらゆる用心をし、同時に相手を気遣い、相手を愛する。これこそが、真の慈悲心なのです。」
ボランティア的スタッフをちょいちょいしているNPOさんがイベントするので手伝ってと言われて
ナリユキで「実行委員」てなものになってるわけですが
もちろん「元イベントプロデュースの仕事してました。」なんてことは言ってないわけです。
マダームたちは「なんかこの子案外使えそうだわ。」と思ってるのです。
マダームたちがやりたいのです。
それでいいのです。わたしはおとなしくしてるのです。

でも いろいろ気になります。
「自己満足のためのイベントってほんと多いのよ。」
という言葉がじんじん響きます。

さっそく2回目のミーティングでチラシとチケットを作ってくる係り決めがありました。

(おおい。企画書もナシにいきなりですかい。)と内心驚きますが
時間も会場も出演者も決まっているので、まぁ、なんとかなるなぁ、と会議を眺めていたら、
「パソコンに触れないの〜。」などとマダームたちが口々にいうではありませんか。
「ワープロならできるんだけど〜。」と最年少マダームも尻込みです。

え。 残ったのワシ?

出演者のプロフィールも宣材写真も
ロゴの紙焼きもイベントタイトルもなーんにもないとこから
会議でなんにも詰めてもないことを推し量って
チラシを作りました。

チケットも販売の方法や手順の簡単さを考えて3タイプ作りました。

3回目の会議で、それをもとに修正をすることになりました。
ここをおっきくしたら、とか、こういう文章を入れたほうがいい、とか、こまごまと修正が出ました。
そうだよね。なんにも考えてなかったことが
「チラシ」という現実目に見えるもので提案されたら
あ、ここは考えてなかったね、って気がつくよね。
ていうか、それは企画会議ではじめに詰めておくことなんだよ〜。
気がついてくれたからいいんだけど〜。準備しようね〜。主催者なんだからね〜。

そんなチラシ型企画書です。

作ったのはわたしなので、修正もわたしだろうと
はいはいと、原稿に朱を入れていたら
「"塗りつぶし"でできますよね!」
「んー、カンタンになおせますよ!」
と最年少マダームからやる気満々オーラが流れてきました。

え。アナタが修正するの?・・・ワープロしかできないんじゃなかったのね。
いいの?テキストボックスとかオートシェイプとか図形とか詰め込んであるよ結構。
作った本人じゃないと順序とか図形の貼りかたとかセルとかややこしいよきっと。
いいんだけど。直してもらって。
スキルバリバリなの!な感じで話してるし。いいのかな?いいんだろうなきっと。
「こんだけ作ってもらってあったら、大丈夫。直せます。」
なんだその発言は。なんだかちょっとヤダ。

データをフロッピィで!とか、かやの中で聞こえた気がしたので
「あの〜。よかったらメールでデータ送りますけど。」
とかやの外から声をかけたら
しばらくしてから
送ってもらった方がいいですね。とアドレスの交換になりました。

メールにファイルを添付するときに開いてみて、
わかりにくそうなとこだけ先に直してからあげようかな。
て思ったんだけど やめときました。

だって、
やりたいんだよね。

「自己満足のためのイベントってほんと多いのよ。」
という言葉がまたじんじん響いて
なんだかちょっとヤだった。

   
娘が「おかあちゃんと親子マラソンに出たい」などと
びっくりするよーなことを言ってプリントを持って帰ってきました。

うええ。
おかあちゃん、マラソンなんて高校生が最終履歴ですよ。
大池マラソン。心臓破りの上り坂。

・・・ずっと末っ子だったのに、
突然お姉ちゃんになって、
あれかね。
なんかさびしいのかね。

・・・走ったほうがいいのかね。親子マラソン。

うむむ。
だがしかし、ご老体だからなぁ。
いっちょ試しに走れるかどうかやってみますか。

ということで、
今朝4時半に起きて、いろいろ朝の準備してから
5時くらいにうちから走ってみたのね。

走るっていっても、久しぶり。
トレッドミルのように、足元柔らかいわけでも加減があるわけでもないし、
アスファルトを自分の足で走るのは、ほんと、容赦なく身体に響くのね。

ああ、こりゃ、無理しちゃダメだな、と思って、
往路2キロを休まずに走ってみて
復路はストレッチしながら歩いて身体の具合を確かめながら歩いていたのよ。

夏場はこの時間はもう明るいから、
結構たくさんの人が歩いたり走ったりしてる道なんだけども、
冬めいてきたこの頃は、めっきり人が少ない。
それでもぼちぼち早朝のお散歩を楽しんでる人はいまして、
そういう人とは走ってても歩いてても
「おはようございます。」てあいさつしあうのよ。

で、復路を歩き出して、二人ばかりおじさんに
「おはようございます。」て言ったわよ。

で、薄暗がりに男の人がもう1人立ってたので
「おはようございます。」て言ったのよ。

5mほど通り過ぎたとこで、
その人が、
「市駅に行くのはどういったらいいんですか!」
て言うのよ。

「・・・・・市駅は、遠いですよ。町駅ならこの道まっすぐですぐですよ。」
て、答えながら見ると、
なんか薄着なのね。そのひと。

この時間は暗いし、寒いから、
たいていの人がジャンパーだの、ウィンドブレーカーだの
帽子だの手袋だのしてるのよ。

なのに、サンダル履きでスウェット上下なのよ。

?  ????

駅に行きたいだの、こんな時間にもっそり立ってるだけだの、薄着だの
ヘンだな、と思ったのよ。

で、あ!昨日公園に置き去りにされちゃった入院患者さんいたよなぁ!
って思っちゃってさ
このひと、なんか事情があって今ものすんごい困ってるのかも!
とか、気を回しちゃったのよ。

「市駅にいきたいんです。歩いていきたいんです。」

「遠いので無理しないほうが、」

「そうですかぁ」といきなりその人はズボンを下げましたとさ。









ああ、これはアレだ。
わたしにおいなりさんをみせたかっただけの人なんだ。
親切に道を教えてあげなくていい人なんだ。

・・・・・・困ってないのねアナタは。

そう わかったわたしは とっさに 両手のこぶしを腰に当て、

「どアホっっ!」

と怒鳴りあげていました。

朝の5時に。
腹式発声。

すみましぇん、とズボンをあげた男に
「はよ、走れっ!」と
重ねてゲキを飛ばしてみたりして。
決して走りに来たわけではなかろうに、素直に走り出すおいなりくん。
さようなら。

そのあとたまたま自治会サンに「今朝こんなことあってねー」と立ち話した結果
うちにパトカーに乗ったおまわりさんが二人やってきました。
1歳児ははじめて見る本物のおまわりさんに大喜びでした。


とっさに出た一言が
「きゃあぁ〜」
でなく、
「どアホ!」だったあたりが
オンナではなく、オカンだぞわたし。

なんだかトホホだ。

基準

2007年11月6日コメント (2)
ハルを連れていると
やはり赤ちゃん連れママさんたちによく声をかけられる。

これが、パターンがこれでもか、というほど似通っていておもしろい。

なぜか、まず、タメ口。
どうみてもわたしよりは格段に若いお嬢さん方なのに。

若「まだイヤ!って言わないのねぇ〜。」
 「そうねぇ〜。もう言います?」
若「毎日イヤ!で参ってるの〜。」
 「ふふふ、過ぎてくとそれもかわいいから。」

このあたりで、どうやらこのヒト、他にも子どもがいそうだと勘付く若いお嬢さん。

若「上にもいるの?」
 「うん。」
若「保育園?」
 「ううん。中学生が1人と小学生が2人。」

たいてい ここで一息ついてから

若「よ、4人?4人目?4人いらっしゃるんですか?」←いきなり敬語
 「そうなの〜。」
若「すごいですねぇ〜!」
 「楽しいですよ〜。イヤ!もまだ言葉は出ないけど毎日大きいのと互角にやりあってますよ〜。」
若「そうなんだぁ〜・・・。」

もしかしてこれは、ワタクシが若く見えるのかしら!ウヒヒヒ!
と、いい気になったりしていましたがそうではなかった。(あつかましい)

どうやら彼女たちの基準は「自分の歳」ではなくて
「子どもの歳=ママ歴」年功序列らしい。
子ども広場なんぞでは、たいがいママ歴5年が最年長だったりするんだろうなぁ。
ママ歴13年と知ってからは、いきなり敬語である。

いろんな基準があるんだなぁ〜。

歳食ってるだけでリスペクトされるなんてバカらしい。
要は実務経験がどれだけあるかよ!
という理屈はすっきりわかりやすく気持ちいい。

できるか、できないか
やったか、やってないか
実力勝負である。
楽しいなぁ。

世の中の基準は、ほんとにいろいろあるねー。

チンタオ

2007年11月2日
ヒゲくんが青島(チンタオ)にゆきました。
組合旅行です。

「チンタオってさぁ、なにがあるの〜?」
とウキウキのヒゲくんに、
「ええ〜、おとうちゃんてさ、ちょっと旅行行き過ぎちゃう?」
「また1人で行くの。」
とモックンとミーから不満の声が上がりました。

うむむ。
この不満を抑えねばなるまい。

子「ずるいよ、おとうちゃん!」
父「組合の旅行やもん、ずるないもん!」
母「あのね。チンタオはね。第一次、第二次世界大戦の戦場でね。
  た〜くさん、日本の兵隊さんがあそこで死んだのよ〜。
  だからね〜、チンタオの空港で見る人が見たら
  日本人のおっさん観光客の背中に
  『連れて帰ってくれぇ〜』って兵隊さんがかぶさってて、」
父「やっ!やめてくれ!」
子「ひぃーーー」
母「おとうちゃんは、英霊さんを連れて帰らはる旅にではるんやで〜。」
父「やなこという!」
子「塩、塩。」
母「ご苦労さんです〜。(合掌)」

一転 うらやましがられなくなりました。

白赤

2007年10月25日
白い恋人
赤福

白と来て赤。

「次は那智黒があぶない。」ておじいさんたちがウワサしてました。

かつて、わたしが子どもだった頃
うちの引き出しには子供向けのおやつが皆無だったため 
袋の中で溶けてひっついてごつごつに固まったのも
銀色の袋の内張りから引っぺがして叩き割っておいしく食べてました。

那智黒に賞味期限などない
おいしいと感じるなら食べてもおっけいだ!

あぶないと思うなら 嗅げっっ(基本)


   

ししとう

2007年10月25日
ししとうもピーマンも
クリームシチューだったら不穏な雰囲気ですが
トマトシチューならセーフにします。

ただ、うちの母はマカロニグラタンに刻んだピーマンを入れます。

あと、おでんに必ずニンジンを入れます。
「おでん」ではなく「かんとだき(関東煮)」といいます。

どちらも「おふくろの味」として娘(わたし)には受け継がれませんでした。

漢検

2007年10月21日 ゲーム
中学校で集団受験のおすすめがあったので、息子に2000円の受講料を持たせて申し込みました。
「えぇ〜漢字めんどくさい〜。」というので
コレを宅配生協で購入。

漢字ってのは一字一字を覚えるしかないので、面倒でも毎日漢字に触れることが一番の近道だろうなぁ。
そのイントロデュースにはこういうゲームがとっつきやすいだろうよ。と思いまして。

ちょうど、「Aボタンを押し込むと、そのまんまになりがちな不具合」で悲しい状況の我が家のDS事情を反映して、
タッチペンだけでできる漢検はストレスフリーで人気者になりました。

ま、これはあくまで「触れる」だけのことで、
「受験勉強」とは別だろうなぁ、というのがやってみての私の実感なので
ヤツには問題集を買ってさしあげるつもりです。

モックン、コレの実力判定テストでは準2級。あてにならん。

おさるのおうさま

2007年10月17日 読書
ハルが歩けるようになって
ぼちぼち母の外遊びも活発になってよろしいのではないか。と思う今日この頃。

なんだかばんばん予定が誰かによって組まれてゆきます。
オリエンテーリングの受付やってちょうだい、だの
フリーマーケットの値段付けを手伝って、だの
ストローミュージックのコンサートの実行委員になってね、だの
1歳児の託児をおねがい、だの
教育委員会に行きましょうよ、調整してね、だの
市議さんに話しつけておいてね、だの
市長との懇談会わかってるわね?、だの
バリアフリー探検のつきそいにきて、だの
大人の工場見学行くでしょ?だの
パンフレットの印刷仕分け手伝ってね、だの

「子、子連れなんだけど。」
「いい!いい!つれてきて!」

断れない性格の母に連れられて、ハルたんは県庁にもゆきました。
うう。母はですね、「遊び」にゆきたいのですよ!

そんなこんなで 読み聞かせも再開です。

いとうひろしさんの「おさるのおうさま」を選びました。
人権の秋(学校で人権教育や講演会が増えてくる)だしね。

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小さな島で楽しく暮らすおさるくんのもとに
おもちゃのサルが流れ着きます。

これは王様に違いない。だって王冠を両手に持っているもの。
親切にしてあげなくちゃ。とバナナをあげたり、木の葉のベッドを作ってやったりいろいろ世話を焼きますが、
王様はどれも気に入りません。
歯をむいて王冠を打ち鳴らすばかりです。

めんどくさくなっておさるくんは仲間のところへ戻り、ご飯を食べリラックスしました。
ときどき王様の打ち鳴らす王冠の音が聞こえたような気がしたけど。

かわいい小さな妹と遊ぶことにしました。
しばらく仲良く遊ぶうち
妹はぐずぐずしだして、しまいにゃ大泣きしてきました。
バナナも木の葉のベッドも気に入りません。

いもうとが王様になってしまったようで怖くなってしまいました。

お母さんがきておっぱいをあげてあやすと、いもうとはもとのかわいい小猿になりました。

おさるくんは、「おかあさんならおうさまのきもちがわかるかも!」と
王様のところへおかあさんをつれてゆきますが
王様は、もう、いなくなっていました。

おかあさんは笑って言います。
お母さんにも王様の気持ちはわからないと思うわ。
お母さんには妹ちゃんやおさるくんが王様に思えることもある。

えっ。みんながおうさまになっちゃったら!たいへんだよそんなの!
たいへんだよね!?
と心配するおさるくんですが、お母さんはそうかしら?と笑っています。

お母さんが帰ったあと、おさるくんは王様のことを考えました。

王様はいやだし、何をしてほしかったのかわからなかったけど。
でも。
もう少し、そばにいてあげてもよかったな。
もう少しだけ。

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自分以外の誰かのことなんて簡単に「わかった」りはしない。
人の気持ちをわかってあげるのは とってもむつかしいことなんだ。
そこんとこを ああ、そうだなぁ、と気づくとこから
ひともじぶんも大事にできるひとになれるんだと わたしは思う。

子どもたちは、気づいたかなぁ。
ちょっとずつ、じん、と沁みていけばいいなぁ、と思いながら読みました。

1歳児のおかあさん

2007年10月2日
おハルがついにお誕生日を迎えました。
1歳になりました。

一年たつのかー 早いな〜
と、産んだ当の母までが思っています。
トシヨリ効果(ウラシマ効果みたいな)かもしれません。

高齢出産 4人の子持ちというのは、割とウケがいいです。

おばあさんたちにはよくやったよくやったとかわいがってもらえます。
ワシらの年金ありがとう、と よくお礼も言われます。
納付年齢までに破綻しなきゃ良いんだけど。老齢年金。

若いおかあさんたちは一瞬目をむくものの、
オトモダチになりましょう光線が目から出ています。
同世代ママンの関係に投石したいのかしら。

ほんとに楽しい1年であっという間でした。
出産のときに「うおー 寿命縮んだ〜。」と思ったけれど
この一年ハルのかわゆい笑顔やしぐさを見るたび、寿命がのびて、
すっかりお釣りがくるほど寿命が伸びたかも。

1歳児はとことこと歩き始めました。

このあとの子育てもドラマティックで楽しいんだよねぇ〜
うん。やっぱ、おもしろいぞ子育て。
子どもを授かって、子どもが産めて、
こんなしあわせなことってないな。
食べ終わった自分の弁当のフタを皿代わりに
箸を持ったクラスメイトが
「さぁ〜、次の弁当〜♪」とやってきて
「鮭もらっていい〜♪」と弁当箱から箸でつまんで目の前でガブガブ鮭の照り焼き食っちゃったらしい。

「いいって ゆってないぞ。」

と、もふもふ口いっぱいに食ってる友達を眺めながら静かにゆーてみたらしい。

「というわけで、鮭の皮が残ってないやろ。」(←鮭の皮は残す派)と、息子。

かわいいもんです。中学1年生。
モヤ〜と「中学男子のイジメ」について考えていたら
名指しで「あの子がいじめてるのよ。」と聞いたばかりの子のおかあさんとバッタリ。世間は狭いのぉ〜。

まさか「ヘェ〜イ、いじめてるぅ?」とも聞けないしな。モゾモゾ。
だがしかし、そこは同級生の母二人。
自然と我が子のはなしになるわけで。
自然とクラブの話になったりするわけで。
自然となんやかんやと愚痴になったりするわけで。

子ども同士でぶつかり合っていることをちゃんと知っていた。
親が口を挟みすぎることはいいことじゃない、と考えて成り行きを見ているらしかった。

「男の子だし、はっきり自己主張して、友だち付き合い作っていく時期やもん。もう、ほっとくの。」

あ。その意見には賛成だ。


子どもが幼児の頃は、こういうことはよくあったよな〜。
おもちゃの取り合いで大ゲンカして。
そのたびに親が「あらあらごめんねぇ。」などととりつくろったり気をそらしたりして間にはいったもんだ。

これもまた経験者は知っているが
子ども同士のいざこざを仲裁しているつもりが
ついつい我が子のひいきになってたりして
子ども同士が仲直りしてんのにママ同士が険悪〜になってたりして。
よろしくないのよね。親が出張ると。
ぐ。とがまんして「見てよう。」と、決着がつくまでは手を出さないのが一番丸く収まる。
泣いたり、泣かされたり代わりばんこに経験して、トレーニング中なのだ。
親がかわいそう、と手を貸しては、学べないまま大きくなってしまう。

小さい子だって、自分のポジションは自分で獲得するのだ。
その経験が積み重なっていないと、少しずつ広がってゆく社会をわたってゆくたびに
いつまでも親に泣きついて助けてもらったり、
ワルモノを作り出してソレのせいにしたり、
自分勝手なヘリクツだけで周りに迷惑かけたりするのだ。

自分の人生を、自分の足で歩きだせ。子ども。


気になっていたのは、「している側」と「やられている側」の温度差だったのだが、
どうやら当の子どもたちの様子からすると、深刻なイジメ、ではないらしい。
「悪ふざけ」と「気に病むたち」のバランスなんだろうなぁ。

バランスの悪さを、そうっと手助けして、心を軽くしてやる手伝いは周りからできることだなぁ。
ていうか、それだけだろうなぁ。できるの。

いつまでも子育てって、見守り支えるに、つきるのかもね。

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